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2019年1月7日(月) |
加速度的に技術革新が進歩 |
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2018年7月24日(火) |
シェーンと、アベと、・・・ |
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●久しぶりに映画「シェーン」を観た。BSでやっていたので録画して、ジックリ鑑賞した。「シェーン」を初めて観たのは小学生のころで、父親が西部劇好きだったから、TVのロードショウを一緒に観ていた記憶。その後大人になって何度か観て、たぶん今回で5、6回目だと思う。同じ映画を何度も観たのは、「ゴッドファーザー」といい勝負。好きな映画でも、1回見たらもう十分という映画もあるし、TVで放送していると知らぬ間に観てしまうこともある。「スターウォーズ」などは後者のほうだ。
「シェーン」は実にシンプルな物語。流れ者がある家族と意気投合し、暫く居候。開拓時代の米国(西部?)は、早い者勝ちで土地や利権を取得できるとはいうものの、どんな時代でも必ず悪い親分が存在するもの。シェーンが居候した家族に「その土地は俺様のものだ!」と、親分が暴力で追い出そうとする。その攻防で色々な戦いや人間模様が展開する。まさに典型的は「善と悪」の物語。西部劇の早撃ち対決もクライマックスにある。登場人物は少なく、夜のシーンが多いので全体的に暗い映像イメージだが、起承転結のストーリーは抜群で、その後の映画のベースになったと言っても過言ではない。
だけど、なんだか心が晴れないのだ。物悲しく、残尿感ならず残哀愁感。主だった登場人物もみんな哀しそう、寂しそうな表情。唯一の元気印が家族の一人息子。そう、あの名シーン⇒「シェーン! カムバ〜ク!」と、ラストでシェーンに叫ぶ少年だ。映画史に残るラストシーンだが、ふと「シェーンは何処に行くのだろう?」「傷を負っていたはず、手当せずに大丈夫か?」と。その名残惜しさと哀愁が、何回も映画を観てしまう要因かもしれない。
映画は少年の視点で描いている。カメラ・アングルも子供の目の高さ=少し低い目線から見上げるシーンが多かった。主演男優のアラン・ラッドは小柄だったので、それをカバーする意味もあったかも。小柄だけど、その美男子ぶりには驚く。近年の男優にはいないタイプ。どこか哀しげで華奢な体格の男は、従来の西部劇に出てくる大柄ガッシリ系とは真逆。その異質なことが、この映画を後世に残る名画にしているのかもしれない。
前半は、観ながらずっと涙を流していた。自分でも解らない。悲しいシーンではないのだが、熱いものが込み上げてくる。きっと、年取った小生が子供時代の自分や父親のことを想起して、無性に感傷的になったのだろう。あるいは、登場する少年に感情移入し過ぎたのだろうか。
綺麗な涙を流し、心を洗った。
●逆に汚らしいものも見た。「自民亭」のSNSアップには、開いた口が塞がらない。写真を投稿した本人が「SNSにアップすべきではなかった」「国民に誤解を与えて謝罪」と言っているが、そうではない。その感覚がズレズレで麻痺しているのだ。そもそも問題は――
1.オウム麻原以下、死刑囚7人の死刑執行前夜に懇親会を開催し、総理大臣と法務大臣が祝杯(?)をあげたこと
2.緊急災害警告が出て数時間後。当夜から翌日にかけて、一層の危険が迫っていると気象庁が発表しているにも関わらず、呑み会決行
3.翌日、岡山・広島・愛媛で避難勧告⇒指示が出たにも関わらず、アホ議員二人がSNSに懇親会写真をアップ。もうこの段階で、お前ら狂っている・・・というか、危機管理意識がゼロ!
4.安倍総理は、緊急事態にも関わらず、自宅に戻って何もせず。「魔の66時間」と揶揄されているが、国民の数万人が生きるか死ぬかで避難したり救助されたり大自然災害に遭遇しているのに、ほぼ三日間何も発動していないらしい
5.しかもアベは予定通り外遊するつもりだった。周りに諌められて仕方なく外遊を取り止め、緊急何某(なにがし)の発動をし、被災地に火曜日に現地入り。宴会から5日後で、被災から丸4日後。
もうここまできたら、馬鹿でアホでクズだ。アベは勿論のこと、菅も麻生も、国土大臣も環境大臣も、法務大臣も、SNSアップの馬鹿男も馬鹿女も、全てが糞だ。嘘で塗り固めた末期症状の政権と官邸の問題云々より以前に、あんな知能程度の低いヤクザ大臣=麻生の放言・失言以前に、いま国民が一番苦しんでいるときに何も適切な判断と行動が出来ずに、ジッとしている奴らに&アベに、国家の政治を任せられるはずがない。
もういい! お前ら、みんな辞めてしまえ!
こんな低能たちが国家の中枢を担っているとは・・・・なんと我々日本人は不幸なんだろう。いや、クズでダメな国だから、世界中で一番激しく次から次へと自然災害が襲ってくるのか。まるで地球が、日本だけを目の敵にしているような。
*大統領や総理大臣の使命と責任
⇒それは国民の生命を守り、豊かで住み易い国家を作ることである。
国民の安全のために、「防衛力」を強化することは、過去の(いや現在も)戦争の経験則で仕方のないところ。人類のどうにもならない恥部だ。日本は軍事力を持つことは憲法で禁じられているが、「警察」⇒「自衛軍」⇒「自衛隊」と発展解釈して実質軍事力を強化してきた。アベの「憲法改正」は、その正当化だけである。目的はその1点! 所詮「自衛隊」が解釈で成り立っているので、別に放っておいてもいいのだが、問題は「防衛」しかできないこと。「攻撃」を可能にするには、憲法を変えるしかないのだ。その是非は今後に譲るとして、果たして今の日本人の生命を守ること=軍事防衛ですか?・・・・との疑問。
近年の大地震は、阪神淡路大地震⇒中越大地震⇒東日本大地震&津波と来て、熊本大分地震や山陰地方の地震、そして最近の大阪地震。その間も震度5前後の地震は頻発しており、いよいよ本殿(?)の首都直下型地震が近い予感。休火山の噴火も拍車を掛ける。そのうえに、である。従来無かったタイプの集中豪雨・ゲリラ豪雨。台風の時のように短期間で終わらず、2〜3日連続して豪雨が続く。「2カ月の雨量が1日で降った」とか、まさに想定を遥かに超えた異常気象。土石流や土砂の氾濫、河川の決壊と洪水、一部にはダムの決壊を防ぐための複数回の放流による水害・死亡も。
「他国からの核の脅威」もさることながら、日本は「自然からの爆弾的災害の脅威」に今まさに晒されている。国民の生命を奪うと点では、「核爆弾」も「自然災害の爆弾」も同じ。十二分な防衛、防災をしなければならない。
「防災費」は「防衛費」とは予算が違う。防災費という独自予算はなく、国土交通省(気象庁含む)や農林水産省の中とか、地方自治体の予算の中に防災費があるのだろう。だが、地方任せでは通用しない時代になっている。気象、地震、火山などは気象庁の管轄。「防衛費」は年間5兆円超。オスプレイ1機が114億円で、計17機配備予定で計約2000億円。今後とも武器商人トランプから、新たな兵器を買わされそうだ。使えない武器は不要。どうせ攻撃できないのだから。オスプレイの数を半分にしたら、1000億円浮く⇒防災費に回せる。被災者支援に充当するのもよし、防災や避難への技術開発費用に回すのもよし。要は、国民の生命を守るのは、日本にとって防衛ではなく「防災」が最優先事項。
1兆円の防衛費を削減し、そのまま防災費に回したい。
地震予知の研究費用、砂防や河川氾濫におけるダム設備の見直しと放水ルールの見直し、各河川の堤防の点検と見直し、避難通告設備の強化、・・・・要するに「爆弾」のように激変した現代の自然に対応する「防災」、あの津波と同様の被害が、平地や山間部で起きるとの認識。日本一災害の少ない県だったはずの岡山県倉敷市&広島市・・・、あの瓦礫やゴミの山を見ると、東北の津波後の瓦礫と何が違うのか?⇒ほぼおんなじだ。
明らかに自然が激変した。「従来型の防災では毎年何万人の命を危険に晒す」「防衛と防災の価値観を変える」・・・・なんてアンテナが働く人材はいないのか? あるいは、総裁選でぶち上げられる政治家は存在しないのか? 現実の災害や死者を見てみない振りをして、見えていない仮想敵への防衛に湯水の如き予算を無尽蔵に使う三代目Jソールじゃない首相。こんな奴を辞めさせられない日本人は不幸の塊だ。
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2018年4月16日(月) |
厄年の1年間だった・・・? |
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2017年6月13日(火) |
故郷に帰って思うこと・・・ |
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●4月の半ばに実家の岡山県に帰省した。新幹線に乗るのも久しぶり。東京駅からではなく、品川駅から乗車し、約3時間と15分ほどで岡山到着。昔のサラリーマン時代に、「ひかり」で4時間以上かかったことを考えると、隔世の感である。その時代の習性で、週刊誌やスポ新聞を買い込んで、且つ小説も数冊持って行く。しかし、今年は桜前線の遅れもあって、車窓の景色は丁度「桜が満開」。平日の午後に乗ったので、ビールを飲みながら昼食の弁当を食べていると、知らぬ間にいい気分でウトウト・・・。名古屋には直ぐ着いてしまった。その後、京都、大阪と来れば、岡山には残り30分余りで、殆ど何も読む間もなく到着(皐月賞の週だったので、競馬雑誌やスポ新聞ぐらい)。年を取ったので眠り易くなったのかもしれないが、今回は丁度いい休息の時間になった。昔のサラリーマン時代の「ひかり4時間余り」は苦痛だったが、現代の3時間余りは楽しい時間に変化した。
●数日間過ごして、東京に帰る日。予定が変わって2時間以上時間が余ったので、新幹線に乗る前「イオン」の巨大ショッピングモールで過ごした。岡山という小規模な地方都市にとっては、商圏の一大改革だろう。駅前の大きな林原駐車場=「カバヤ(林原)」の広大な敷地が、全て一つのモールになったのだから、昔を知っている人間にとっては別世界である。そういえば、優良企業だった「林原」の元専務が、『銀行に騙されて倒産…』的な暴露本を出していたことを思い出した。なるほど、それが事実なら、銀行とイオンが結託して岡山駅前という絶好の土地を奪ったのだな・・・とも。
ま、それはさておき、平日のお昼前後ということもあり、中はガラガラ。地方都市の平日なら、そんなものだろう。地元の老人たち(自分もそうだが)、主婦の友達グループのランチ、早退したのか、若い学生風の数人、コーヒーを飲みながら人の流れや中庭を眺めていると、時間があまりにもゆっくり流れている。ふと、
「こんな所で過ごしたいな、もう老人だから、ユッタリ生きたいな」
と思ってしまった。岡山で生活するなら、未だ辛うじて数人の友人がいる。一緒の土地に居たらまた違うかもしれないが、少なくとも東京よりも友人との交流は多いと思う。ではなぜ帰らない?なぜ晩年を故郷で過ごさない? それは、三男坊に生まれて、居場所もなく早くに家を出ることが当然だったし、もう帰る場所は無い。故郷というよりも、東京ではない地方で晩年を過ごしたいと言ったほうが適切かもしれない。40年間、まるで流れ者のような生き方をしてきた人間にとって、そろそろ年齢的に落ち着くときがきたかもしれない。
先日引っ越した場所は、東京の下町ど真ん中。ここならユッタリ生きることができそうな予感がする。ここが終の棲家になればいいが。
●トランプと安倍と金正恩の3人、誰が一番の馬鹿か、誰が一番チキンで小心者か、誰の政権が一番長持ちするか・・・、色々と比較できる。というより、3人とも似た者同士かもしれない。一見、トランプと金のチキンレースで、戦争の引き金をどちらが引くかと思われているが、安倍だって負けていない。トランプにベタベタと擦り寄って『ブラック・タン』をして、世界中の笑い者なった。そして、毎回の北朝鮮ロケット打ち上げへの過剰反応。憲法記念日に「自衛隊を正当化する憲法に改正したいと」あの「滑舌悪い芸人」顔負けの滑舌の酷さでのたまわっている。そして米軍との訓練・・・トランプ虎の威を借りて、戦争を煽っているのと同じ。一番タチが悪い。一触即発で戦争を起こしそうなトランプを、裏で煽っているのは、実はアベじゃあないのか・・・と。
TVで見ると胸糞悪くなって、必ずチャンネルを替える人物がいる。芸人の松本と坂上忍と橋下(元大阪市長)。彼らを絶対に観たくないのだが、ヤフーニュースで常にアクセス&コメント上位なので、どうしても見出しは目に入ってしまう。松本は何故かCM起用が多く、TVを付けていると連呼する商品名が仕方なく耳に入る。暴力と同じだ。ただ、「すべらない・・・」の話上手な中堅芸人は好きなので、録画しておいて、松本の部分だけ飛ばして観て楽しく笑っている。
ヤフーニュースでついでに言うと、所謂「ネット族」のコメントを読んでいても、胸糞が悪くなることが多い。普通のタレントが不祥事を起こすと、みんなで寄ってたかってボロカス。後述に出てくるが、準強姦容疑が直前で逮捕中止となったた元TBS記者に対して、勇気を出して記者会見した女性に対して、ネット族は批判の嵐。まるで民進党が担ぎ出して、被害者に対して売名行為まで問うようなクソ書き込み。お前ら、安倍の御用ネット族か? お前ら、真実の何を知っているのか? 単なる想像と、既書き込みへの同調書き込みで、炎上するアホな仕組み。それでいて、TVの松本の発言にだけは賛同⇒「松ちゃんの言うことは当たっている、脳科学者の○○は馬鹿だ」と。お前らこそ大馬鹿で、本質が何も解っていない軽率な日本人ばかり。話を戻すと――
勿論、政治家で見たくもない人物は安倍とトランプが双璧。トランプなどは、日本語訳の声優の声を聞いても胸糞悪くなるので、見聞きしないように努力する。FBI長官の解任なんて、映画でも書けないシナリオ。世界一の大国(軍事と経済)=アメリカのトップでは無く、後進国の独裁者がやりそうなことをばかり。そんな悪事を世界中のリーダーが見て見ぬ振りをしなければならず、国民の支持率は史上最悪と言われながら、未だ1/3の米国民が「YES」と言っている。アメリカ人が選挙で選んだわけだし、トランプ自身の問題よりも、選んだ米国民が馬鹿だということになる。
地球上の生物は、敵と争って勝つ遺伝子だけを残すようなシステムで成り立っている。何事も無く、古代のままの生物しか存在しなければ、きっと「進化」がないだろう。強い遺伝子だけ残ったり、突然変異で新しい形に変化したり、環境の変化に適合するために変異したり・・・・。何が正しいのか、どちらが正しいのか知らないが、殆どの生き物は戦って争って生存競争しているように見える。人間も、ずっと戦争と殺し合いと縄張り争いをしてきた。第2次世界大戦で核兵器が使用されたことにより、その後は世界大戦は起きていない。原子力発電も含めて、人類は究極の物質と兵器を発明してしまった。そのことが抑止になったかどうか判らないが、それを使った戦争が起きれば、国単位はもとより、地球規模の滅亡まで起こり得ると予見し学習したから、一応の静止状態が保たれていた。ところがトランプの出現により、人間一人一人の「心の箍」が外れ、我慢をすることをしなくなった。各国の政治的動きも然り。あの英国も仏国も理性を失い、移民の排除、EU離脱、国家の独立など、利己主義思想が増大し、政治を二分化している。
それにしても、よくもトランプという大統領を登場させたものだ。地球を滅亡に向かわせるために、神が選んだ、いや悪魔が送り込んだ最後の切り札。確かにトランプだけに・・・。第3次世界大戦を勃発させるために、最も適切なキャラクターを数人選んだように見える。自然破壊を繰り返す人間に、その愚かさを身を持って知らしめるために。神は、地球を一度リセットしたいのかもしれない。
●安部の脇の甘さがドンドン露呈してる。妻も含めて、全部が「お友達」がらみ。第一期総理時代に揶揄された「お友達内閣」と何も変わっちゃいない、何も成長していない。滑舌の悪い舌った足らずの喋りで、「下品な野次は止めていちゃだきたい!」と言った5分後に、自分への批判に自らが野次っている姿。言う必要のないのに「私が関わっていちゃら即刻辞めましゅ」と発言したために、存在する文書を無いと嘘をつかざるを得ない側近や各省庁担当者。しかもデジャヴで。常に焦ってムキになって答弁する姿は、小者感丸出し。全世界を飛びまわているようだが、何一つ成果らしい成果が無い。よくもまあ、こんなのが2回も総理をやっているものだ、日本はおめでたい国だ。そうそう、「詳しくは読売新聞を読んでくれ」って、戦後始まって以来の馬鹿発言。ナベツネ健在ということか、一般紙でこんな「御用新聞」化は、太平洋戦争突入前のようだ。
「アベって、本当にアホだな」と同級生なら言っているだろう。実は小生は学校こそ違え、同じ学年。あちらは岸の孫として東京の豪邸で生まれ、小生は名もなき貧乏人の三男として岡山に生まれ、全く違う空の下で同じ年月を生きてきた。こちらは何もまともな教育を受けず、そろばん塾に行った程度で、中の下の学歴で社会人に。一方の安倍は、幼少期に元総理でありA級戦犯のはずだった岸祖父の膝上で、英才教育を受けてきた。岸ジジ⇒「晋三よ、お前は将来総理大臣になって、私の念願である憲法を改正する偉業を成し遂げるのだぞ」と耳にタコができるほど言われてきた筈。
だが安倍はレールが敷かれたはずの東大コースには乗れず、私立のお金持ち大学にしか行けなかった。それがコンプレックスであることは間違いない。あの様子では、大学で弁論部にいたとは思えず、ディベートも経験がなかったのではなかろうか? それほど、プレゼンも弁論も討論もみんな上手では無い。というより度胸が無いから、どれも下手である。あの小泉さんのようにハッタリをかませらず、正反対なのだ。
明らかにリーダーに不向きな人間性。人前で喋ることが苦手で、あがり症で、滑舌が悪く、きっと子供時代から喧嘩をしたことがなかったであろうタイプ。じゃあ何故総理に2回もなれ、「1強時代」として続いているのか? 人間のレベルとしては似たような者である小生だったら、精神的に続かないだろうし、自分の姿を客観的に見たら恥かしくてリーダーを辞退したいだろう(自尊心が許さない)。安部が続く理由は、血統と育ち、そして一族の汚名を晴らして(祖父⇒A級戦犯もどき、父⇒総理目前で死去)自分が歴史に名を残すという目的意識だ。確かに歴史に残る。2回も就任して長期政権なのに、何も成し遂げられなかった・・・・と。
つくづく人を見る眼が無い。脇が甘いから利用され易い。馬鹿だから言ってはならないことを発言し、その火消しと修復に周囲が躍起になる。森友問題、加計問題、自分にべったりの御用記者の犯罪もみ消し問題・・・、全部アべの脇の甘さと利用され易い体質、夫婦揃ってである。あの準強姦の元TBS記者、なんだか突然TVのワイドショーに出てきて、高飛車で安部への異常な擁護発言で、2回目から見かけたらチャンネルを替えていた胸糞悪さ満載の人物だった。被害者の会見を聞いて、やっぱりな、と小膝を叩いた。少なくとも二度と奴の顔を見なくて済む。
いかんいかん、安倍批判をし始めると筆が止まらない。こんな馬鹿呼ばわりも、自分のマイナーなHPだから言えるのだろう。「共謀罪法案」を聞いてもよく理解できないが、なんだか自由な物言いが出来ない時代になったものだ。メジャーなブログで発言すると、抹殺される日が来るのかも・・・。
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2017年2月13日(月) |
映画「ハドソン川の奇跡」⇒傑作! |
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●クリント・イーストウッド監督の「ハドソン川の奇跡」を観た。評論家の評判がかったにもかかわらず、アカデミー賞にノミネートされていなかった(音響・録音賞のみ候補)ので、あまり期待していなかったが、観終わって「これは傑作だ」と唸った。某映画評論家が「プロがプロのために作った映画」と。淡々と事実を描きながら、魂を揺さぶられる素晴らしい映画を作ってくれた。日本の映画賞(ブルーリボン、キネマ旬報他)では、外国映画のベストワンに選出されている。確か、近年のイーストW監督作品=「アメリカン・スナイパー」や「ジャージー・ボーイズ」は、日本での評価は常にベストワンになっているが、本国ではよくてノミネート止まり。過去に「ミリオンダラー・ベイビー」や「許されざる者」などで受賞しまくったから、もうトロフィーは不要だろうとのことか? ま、それは関知するところではないが、日本人好みの作品が多いのかもしれないけれど、この「ハドソン…」は、また一つ傑作が増えたと素直に感じた。イーストW作品は他とは一線を隠している。格が違う・・・というのか、切り口が違う・・・というのか、一種独特の世界観と信念と哲学に基づいて造られているので、見る側も他の映画とは違う感覚なのだ。
絵画に例えると、葛飾北斎の浮世絵のような。パリ万博の展示で火が点き、日本ブームに。印象派画家がみんな模写して、参考にした世界的画家。画力は他の追随を許さず、無駄を排除した表現力と構図。あの「富嶽三十六景」の神奈川沖の波は、デフォルメやデザイン性という観点でも、誰も超えられない境地の風景画。ギリギリまで無駄を排除した画風と表現力は、2人の共通点と感じる。80代半ばに信州小布施町で描いた屋台の天井画の「究極の波」。最晩年まで画力と表現力を追及した北斎と、やはり80代半ばでも上級の映画を作り続けるイーストW監督、老いてなお成長する所も同じだ。
●小説なら、文章である程度の「説明」「解説」が必要になる。だが映画は映像がある。ナレーションを入れなくても、登場人物が台詞で説明しなくても、映像を見れば解ることが多い。だが、みんな説明したがる。台詞で説明しないと観客に伝わらないと不安なのだ。映像も飾り付けて、綺麗に綺麗に見せたがる。だが現実は違う。夜は暗いし、貧乏な家の中は光が少なく汚い。そのリアリティーを徹底的に追及したのが「ミリオンダラー・ベイビー」。半分以上が真っ暗で、何をやっているかよく見えないシーンも。それが逆に、まるでルネッサンスの絵画のようにも見える。主人公の光と影、不幸な生立ち、そしてあまりにも残酷な運命が、リアリズムの陰影で表現されていた。確か撮影賞も受賞した。それ以降のハリウッド映画は、夜は真っ黒に、室内は薄暗く撮影するようになった。まさに「自然光」で。
今回の「ハドソン川の奇跡」は、世界中のみんなが知っている出来事。飛行機が川に不時着して、全員が奇跡的に助かった。2009年の冬、機長は英雄として世界のニュースになった。その奇跡が起きる物語を見せるのかと思いきや、全くの反対。保険会社や飛行機会社側が、機長の判断ミスで川に不時着したのではとの疑惑を持ち始める。というより、事故の分析・検証としては、当然のことなのかもしれない。そして、運転ミス・判断ミスを追及され、遂には「公聴会」で機長と副機長が証言をする・・・・というストーリー。
まず、そんな事後の物語があったとは、他の国の我々は全然知らなかった。その驚きと、米国のお国柄にもビックリ。表では英雄でも、裏では莫大な費用の損失と保険適用云々で、非常に嫌らしい動きと個人攻撃。クリント監督は、あくまでも淡々と出来事を描き、しかし徐々に「西部劇的」に対決の構図にしていく。主役と敵役、善と悪の構図に。実際には善人も悪人もないのだが、そこは上手にエンターテイメントの要素も作りつつ、社会を切り取っていた。
●ここ十数年のイーストW監督作品は、魂が震える・・・というか、心に響いてい来るように感じる。近作の「アメリカン・スナイパー」もそうだった。人間の「正義」とは何かを考えさせられるような。決して「正義」を押し付けることはしない。淡々と物語や台詞が進んでいくだけに、観客に考える余裕を与えてくれるし、なんだか考えさせられる。撮影は殆ど一発で終わるそうだ。撮り直しが滅多にない。俳優側が、「今のテイクは上手くできなかったので、もう一度やらせてほしい」と頼んでも、静かなトーンで「日常生活でも毎回ベストの言動をしていない。さっきのテイクはグッジョブだったし、納得いかないなら次のシーンで頑張ればいい」と回答するそうだ。リハーサルも滅多にしない。なぜなら、イーストW監督の撮影スタイルが浸透しており、俳優各人が完璧に作り込んで役に成りきって臨むから、初日から即本番撮影できるのだ。だから、撮影日数は少なくて終わるし、俳優たちは尊敬するクリントに褒められて仕事ができるから、全員が満足感いっぱいで仕事を終われる。編集でスパスパ切っていくから、無駄がなく説明的なシーンがない。
この映画、2時間余りだろうな・・・と思っていたら、たった1時間30分で終わった。もっと見たいと名残惜しかった。主役のトム・ハンクスは完璧に実在の機長に成り切っていた。相当減量したようだし、顔つきまで似ていた。久しぶりにハンクスの名演を見た。
実は、半分ぐらい観ながら泣いていた。年取ったから? 別に泣かせるシーンなど無いのに、自然と涙が流れ続けた。時には主役の悔しさ、ベストの判断をしたはずなのに、いや違っていたかもしれないとの不安と恐怖、時には乗客たちの不時着への恐怖への共感、助かった時の生きている喜びへの共感、公聴会での機長のスピーチと副機長との信頼関係、そして物事が好転・逆転してくプロセスの痛快さ。各場面の感情移入で、涙がこぼれた。
最上級の人間ドラマであり、西部劇(?)であり、人それぞれの人生の喜びを考えさせてくれる物語だった。映画賞の受賞が少ないのは、イーストWがトランプの応援発言をしたからだろうか? あまりにも酷い米国第一主義の暴走大統領を見ると、クリントも流石に自分の選挙応援が違っていたかも・・・と感じているかもしれない。
●NHKの「ファミリー・ヒストリー」が好きで、よく観ている。初期の頃は先祖が名のある人だった・・・・的なことが多かったが、そんな偉人ルーツが続くはずも無く、今は名もなき普通の祖先。俳優や芸人が出て、「祖父までは判るんですが、その前が不明で・・・」とか、「母方の祖父母の話を殆ど聞かなかった」とか、近いルーツ辿りも目立つ。だが、それのほうが身近に感じる。特に第2次世界大戦がらみで、戦死したとか捕虜になったとか、満州以降が消息不明とか、その時代の話になると、涙なしでは聞けない物語とか生立ちとか。共通点があるとすれば、母親の強さ。だいたい、病気で先に死ぬのは男。もちろん戦死もある。しかし乳飲み子を抱えて、生き抜いていかねばならない。強く逞しく、朝から晩まで寝る間も惜しんで働くのは、みんな母親である。同じ局の「ダーウィンが来た」を観ても感じるのは母親のお蔭で命を繋いでいるのだな、と。動物は雌が狩りをして子供を育てて、天敵に遣られないように身を守り逃げ方を教育している。
小生は岡山県出身で、岡山に本社がある会社(教育系出版社)に就職した。創業者の社長は、岡山で小学校の教師を経験した後、会社を起ち上げた人物。その方と、もしかすると知り合いだったのではないか、との人物が出てきた。この日の主役はケンコバことケンドー小林。彼の母方の祖父が岡山県の人で、高梁市の小学校の校長先生から、町会議員(当時は市ではなく町だった?)になり、町長に立候補した人物と。まさに、その地域では皆から尊敬を受ける教育者であり名士だったようだ。外見も立派な印象で、その点でも勤めていた会社の創業者と似ている。年齢も同年代。接点があったかもしれない。ケンコバの両親も教師で、教育一家の出。彼は、そのお堅いイメージを壊すために、わざと変態的な人物をを演じているとの噂も。
もう一人岡山に関係する有名人がいた。倉本聰、あの北の国からの脚本家。生まれは東京だが、母方のルーツは岡山で、戦時中に疎開をしたこともあったようだ。やはり、教育者の人だったと記憶する。ここのところ、自分の出身地の岡山が続いて、久しぶりに懐かしく感じた。
松方弘樹、目黒祐樹兄弟のルーツを先週やっていた。もう昨年暮れに、かなり危険な状態だったので、弟だけの出演で収録して回復を祈ったが、叶わぬ結果になったので、急遽放送したと推測する。兄弟の父親の近衛十四郎の生立ちや人生、母親との馴れ初め、そして松方弘樹を中心に紹介された。
小生、若いころから松方弘樹に似ていると言われ、「元気が出るテレビ」に出ていた時が最も言われた。松方氏が40歳前後、小生が30前後。オシボリで額の汗を拭きながら笑っているだけの姿が恥ずかしく、当時は似ていると言われることが嫌だった。しかし40前後ではちゃっかり、サラリーマン時代の赤P先生感謝会で支社長挨拶を複数回するとき、「〇〇の松方弘樹こと大橋です」と冒頭で使い、常に笑いを取っていた。所謂、「掴みはOK!」というヤツ。
今回改めて若いころの映像を見ると、20代のデビューしたての松方氏が一番似ていたと思う。はにかんだような仕草は、自分の若いころとソックリ。自分が若い時に8ミリで撮られた映像が蘇る。そして父親の近衛氏。てっきり父親に似ていると思っていたが、今回のNHKで近衛氏の沢山の映像で解ったのは、母親の家系に顔が似ていたことだ(特に目のあたり)。近衛十四郎と小生の母系の顔が似ていたから、自分たちが似ていることが判明。松方氏も私同様に左利き。エラから顎の形が同じなので、声もそっくり。顔の骨格が似ていると、声の出し方が似るらしい。他人にはどうでもいいことだが、自分にとっての「ファミリー・ヒストリー」を疑似体験した思いだった。
松方さんのご冥福を祈ります。
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2016年10月12日(水) |
21世紀の偉大な映画ランキング |
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2016年7月14 日(木) |
お世話になった方の死 |
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●まずは報告。5月に応募した絵画作品展、入選しました。一番下の賞ですが、初応募で初入選は自分の中では及第点以上です。この応募に、自分の将来を天秤に掛けていました。落選なら、自分に能力が無いと諦めて、趣味の範囲内で絵を描くレベルで。もし入選したら、プロの画家の道を目指すとの天秤。晴れて入選したので、今後は遅咲きの「画家」になる方向で。
(尚、入選作品は9月に展示会があるので、それまではこのHPでの作品紹介は避けます。展示会後には当「絵画個展」ページで紹介します)
但し、この上野の森美術館の自然を描く展は、来年以降応募しないと思う。なぜって? 今回29回目だが、部門賞が公式HPで公表されたのを見て、絵に対する価値観が違うと痛感し、決めた。特別賞20作品の内、半分がそっくり。色調、タッチ、構図、テーマ・・・・まるで同じ人が描いたのではないかと思えるほど。中間色を使い、見ていて暗く嫌〜な気分にさせる絵ばかり。現代の日本の画壇の流行かも知れない。あるいは、数人しかいない審査員の好みかもしれない。過去の受賞作品を見ても、ここ数年ずっと似ている。やっぱり、フジサンケイGの主催する事業だなとも感じた。
いや、ケチを付けるつもりもないし、自分の入選は素直に喜んでいるが、受賞作品に対する価値観は、自分の好みとか目指す方向とは正反対なので、来年は別のコンテストに応募する。因みに今年中に2本の公募、来年春にはいよいよ「二科展」に応募する予定。それまでは、せっせとコンテスト向けの作品制作に没頭する。
●小生の人生の中で、最も長期間お世話になった方が亡くなった。享年84歳。日本人男性の平均寿命が約81歳だから、平均以上の長生きだった。ただ、ここ数年お会いしていなかったので、お元気な時の姿しか記憶にない。また、TVに出てくる高齢者は、みんな若く見える元気な人しか出てこない。88歳でも92歳でも、インタビュアーが「え〜、そんなお年なんですか? 若く見えますう〜」という元気老人ばかり。84歳で亡くなったと伺って、その年齢は、まだ元気な老人と勘違いしていた。年齢的には、十分に人生を全うしたと考えを改めた。そして、自分の年齢を再認識。心の中の年齢と、本当の現実の年齢(自分)・・・、丁度二回り年上のあの方が84歳なら、自分も立派な老人の61歳なんだよな、と。確かに、地下鉄で吊革に捉まって立っていると、暗い車窓に老人の姿が写っている。自分の隣に老人が・・・・いやいや、自分だ、俺の姿が写っているのだあ〜って。恐ろしい現実を突き付けられる瞬間。
恩師と呼べる人を作れなかった(作らなかった)自分の人間関係を振り返ると、今回亡くなった方が唯一の「恩師」だったかもしれない。会社員時代に数年間上司だった。それが縁で仲良くなり、みんなでテニス合宿に行ったり、当時はまだ高嶺の花だったゴルフを始めたり・・・。ゴルフを本格的にプレイする人は限られており、数人の中で私だけが残って、その方の社外の友人で形成したゴルフコンペに誘われてからは、ゴルフ仲間として近くなって行った。
その後、小生が脱サラして会社を興した時、株式会社の発起人や役員として加わっていただいたり、公私ともにお世話になったのである。その後は、徐々に交流が下火になっていった。ターニングポイントは、高齢による足腰の老化でゴルフができなくなったこと。暫くは皆でゴルフをした後に、その方の別荘にお邪魔して、皆で宴会をすることでお付き合いが続いたが、お互いに病気をしたり、色々あってここ4年間はお会いしていなかった。
●7年ぶりの「諏訪大社の御柱祭」の様子をテレビで見ながら、久しぶりにお会いしようと考えていた。なぜなら、その方の別荘が八ヶ岳の麓にあり、宴会をする食堂兼民宿が御柱祭の中継基地になっており、食堂の主人から御柱の話を伺ったことを思い出したからだ。虫の知らせというか、今年の御柱祭の丁度その頃に亡くなったことを、後で知った。
お世話になった人なのに、なぜ死に目に会えなかったかって? それが小生の問題なのだ。人間関係を大事にしないというか、疎遠になっていくとドンドン離れていく性分。何かをきっかけに、一切自分から連絡しなくなる&過去を捨てるところがある。若いころは、それで問題なかったし、未来だけを見て生きてきたことに不自由はなかった。だが、年を取って、ある時に、後ろを振り返ってみると誰もいなかった・・・・的な出来事に遭遇したとき(心の持ち方だが)、やっと気付いた。自尊心がく、孤高に生きて来た人間が、生き物としてふと弱気になったときに、自分の老化を自覚し、これまでの生き方を悔いる・・・・そんな感じだろうか。いずれにせよ、お世話になった人からも連絡が無いので、そのまま数年が過ぎ去った。そして、他の人から風の便りで訃報を聞き、自分の愚かさに気付いた次第。もう少し早く会っておけばよかった――と。
御挨拶でお宅に伺い、奥さんから近況をお聞きしたら、ここ数年は会える状態ではなかったようだ。特別養護老人ホームに入所していたり、老健病院に入院していたり、少し認知症があったり、まさに要介護状態で面会が困難だったと聞き、自分の不義理に対して少し言い訳的な気持に⇒会わないほうば良かった状態だったと思い込もう・・・と。本人は最後まで自分でやろうとして、退院した時に車椅子も使わず出掛けて、途中倒れて救急車で運ばれたこともあったそうだ。介護する奥さんの立場には大迷惑のようだったが、誇り高く&自尊心高く生き抜きたかったと想像する。心が老いていないので、思う通り体が動かないことにイライラが募る。そのことでどんどん頑固老人になり、施設でも病院でも色々とトラブルがあったらしい。
長寿社会、しかし80歳を超えて元気なのは女性ばかり。多くの男は病気や老化で要介護状態となり、本人は心と体のバランスが崩れて行くことを痛感する。それが現実なのだ。
●やっぱり、足腰が最重要事項かもしれない。自分の足で歩けないことが、老化を加速させることを再認識。骨折で入院したらそのまま寝たきりになるとも聞く。その方も、内臓は非常に元気だったのに、腰痛の手術をしてから一層歩くのが困難となり、また軽い脳梗塞を発症して、70歳台半ばから一気に老化が進んだような気がする。当時は他人事のように見ていたが、自分も意識すべき年齢になってきた。そして、人間関係の形成を少しでも改善しなければと痛感する。
20年前が最もゴルフでご一緒していた時期。別荘に一泊して、ゴルフを2日プレイして、まだ滞在するその方を別荘に送って、我々は東京に帰宅するのが恒例だった。寂しそうに手を振って我々を見送る姿が脳裏に浮かぶ。
ご冥福をお祈りします。安らかに眠ってください。
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2016年5月27日(金) |
絵画作品展への応募 |
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●人生で初めて絵画作品展へ応募した。絵画教室に通って、思っている以上に画力がありそうなことに気付き、且つ、脳のある箇所が刺激されたか何かで、教室の週1回2時間の授業では物足りないので、同時並行でどんどん絵を描くようになった(具体的には当HP「絵画個展」頁参照)。
昨年の晩秋、ある画家の個展を見に行く機会が。色鉛筆だけで描いた絵画は珍しい。柔らかいタッチで、ちょっと部屋に飾りたくなる雰囲気のある絵だった。画家は私よりも5〜6歳年上で、気さくな方だったので、話を伺うためにアトリエを訪問した。その際、自分の制作した作品を紹介すると、かなり褒めていただいた。気分を良くして、
「もしも、画家として残りの人生を過ごすとしたら、どうすればいいいですか? 何か手順のようなものはありますか?」
と話半分で聞いてみた。すると即座に
「名刺の肩書に画家と表記すれば、それでいい」と回答。
「そして、個展を開いて絵を販売するにしても、展覧会への入選等の実績があったほうが有利。色々な作品展があるから、応募してみたら?」とも。
それで紹介してもらったのが今回応募した「上野の森美術館:日本の自然を描く展」である。「自分も以前に応募して入選した。プロからアマまで何の制限も無い公募。力試し、登竜門としては、丁度いい」と言われ、〆切まで約3カ月半の期間があったので、新作を描くのに間に合う時間だった。
課題の「日本の自然」を1作品、自由課題も1作品、計2作品を応募した。大賞を含めて特別賞が約10本、優秀賞30本、佳作賞60本、計約100本の賞が贈られるとのこと。そして入選は何百本か選ばれるそうだ。昨年度の応募総数が約4600作品だから、日本で一番多いのではなかろうか。上手くいけば入選に1本引っ掛かれば御の字。入選本数はかなり多いようだが、逆に見れば何千人も落選するわけだから、甘くはないだろう。過去の受賞作品を見ると、普通の写実的な絵画は殆ど無い。抽象画でもない。みんなトーンや色遣いが暗く、アートっぽい作品ばかり。それをネットで見たうえで作品に取りかかったので、ほんの少しだけアートっぽさを加味した。ただ所詮素人。美大で勉強をしていないので、表現できるはずもない。まあ、今の自分の実力を素直に出して、少し表現を遊んでみたという感じ。精一杯描いた。入選すれば自信になるし、次の別の公募展への弾みがつく。
結果は5月末には判明する。黙っていたら、落選したということで・・・。
●考えてみれば、「画家」になるのは子供の頃の夢だった。50年近く前の小学校卒業文集に書いた記憶。しかし美大にも行かず、専門学校で学ぶこともなく、普通のサラリーマンに。引退したら、ゴーギャンのように南の島に移住して絵を描くというのが老後の夢に変化していた。実際、数年前に海の近くにアトリエを持ち、我流で絵を描き始めたが、数年で行き詰まる。描く目的が無く、何のために描くのか、自分で見えなくなっていた。そこで、絵画教室で基礎から学びたい&自己発見してみたい・・・と。
一応、雲は晴れて先の景色は見えた。どうなるか判らない。また年齢的にも生命のゴールが何時来るか判らない。何も考えず、自然体で走ってみる。
●上野の森美術館に作品を持ち込んだ後、折角の機会だから国立西洋美術館他でやっている展覧会を観た。(※上記のカタログ写真)
「カラヴァッジョ展」
「黒田清輝」
運よく2つもいいのがあった。NHKの美術番組でやっていたのを1ヵ月ほど前に見ていたから、尚さら興味深く&理解度も高かった。カラヴァッジョは、ルネッサンス期の後に登場したイタリア人画家。圧倒的な画力と写実力で、フェルメールやレンブラントに影響を与えたと思われる天才。時代的には1590年〜1610年あたりの作品で、日本なら戦国時代の「真田丸」と同時期。決闘による殺人罪で逃亡者の身ながら、絵は描き続けた。だが、39歳の若さでこの世を去った。2年前に「法悦のマグダラのマリア」が発見され、世界中でブームになったようだ。
約400年も前の絵画なのに、素晴らしい迫力と美しさ。修復の有無は判らないが、そこは油絵。使った絵具の種類もあるだろうが、照明を反射して細かい筆使いまで解るし光沢がある。また、作品が大きいので、その迫力に圧倒される。上記のパンフレット写真の、静物画と人物画が一緒になったものは、彼が先駆者。逸話として残っているのは、この絵を見て鳥が葡萄を啄ばんだほどの写実。だが本人は気にいらない⇒「本物の人間が持っていたら鳥は警戒して来ない」と。そこまで写実を追及した、孤高の天才画家だった。
黒田清輝に対するイメージは、今回展覧会を観て、印象がガラリと変わった。黒田と聞くと、「日本における洋画家の第一人者」との評価で、上記チケット写真の「湖畔」が」代表作。油絵だが、淡いタッチで、まるで日本画と油絵を融合させたような印象。正直、この絵しか知らなかったが、先日NHKの番組を見て、実は裸婦を発表して、明治時代の日本画壇に大きな驚きとスキャンダルを巻き起こしたと知り、俄然興味が高まっていた。
まず、描いた絵の点数の多さが凄い。そして、画力・・・というか上手い! 人物画も風景画も、下描きやスケッチも唸るほど巧い。やっぱり画力は天才的で、且つ年がら年中絵を描き続け、フランスの留学中も凄い絵を描き続けたようだ。日本のみならず、本場の欧州でも評価が高かったのが解る。実際、展覧会でも数多く受賞したようだ。仏国で描いた女性の絵(写真右)、20代の留学していた時期の油絵だが、数多く描いているモデルは殆ど同じ女性。下宿先の娘さんで、恋人関係にあった人らしい。時期は印象派と重なるが、マネやミレーやドガに勝るとも劣らないほどの人物画力。この時代の女性の絵が最も脂が乗っていたと想像。前の時代(例:ルネッサンス)のように背景を真っ暗にせず、庭の風景や室内なら家具を自然と描いている。色調も明るさも印象派時代という感じ。帰国後まもなく「湖畔」を発表したが、培ったものは完全に仏国留学時代のものだった。いやいや、大きい作品も多く、とにかく画力と絵の美しさに圧倒された。それと、やっぱり油絵の光沢というか、絵具の厚み。今、家ではアクリル画を描いているが、水彩も含めて色々な絵を描くつもりだが、大作はやっぱり油絵だなと痛感。人物画、肖像画もどんどん描いて練習しようと改めて感じた。
黒田の人物画は9割がた女性。軍人や政治家の肖像画は流石に男性だが、自分の意思で描いたものは殆ど女性。裸婦も数多い。そして目立つのは欧州的美人ばかり。留学時代は当然地元フランス女性ばかりで、美形ぞろい。日本女性も、どちらかといえば白人的な堀の深い&知的な美人ばかり。余程の女好きなんだろうと思った。画家では珍しい。ミケランジェロ、ダビンチはじめ、著名な画家は殆どがゲイ。彼らが描く壁画や彫刻で特にギリシャ神話ものは、ムキムキの男の筋肉ばかり。だから、9割がた女性ばかり描いた黒田は珍しい。
●これまで自分が主に描いた絵は風景画か静物画。動物もサラブレッド以外は滅多に描いていない。果たして自分は何を描くべきか? 画家にとって永遠のテーマだと思うが。晩年の今からスタートした自分にとっては、いつまでもさ迷っていられない。かといって、絶対にこれ1本で行く・・・とむやみに決めたくない。もう1年ぐらいは色々な対象を描いて練習をしながら、「よし、俺はこれなんだ!」と自然に発見できるのが一番いい。セザンヌなら⇒静物画&故郷の山、向井潤吉なら⇒日本の古き民家、モネなら⇒光と風と空気を一瞬で捉える(睡蓮は結果の題材)、ゴーギャンなら⇒タヒチの女たち、ミレーなら⇒農民・農業、黒田なら⇒女性の人物画・・・・というように。
過去1年の絵画教室で、油絵の描き方と肖像画を描くコツを学んだ。これからの1年は、どんどん作品展に応募しながらも、様々な訓練をしながら自分の道を見極めていきたい。モネの模写をすることで、筆使いが身に付いた。今年は新たに水彩画の自分流を形成したいし、人物画も常日頃から訓練する。心の奥底では、向井さんのような日本の懐かしい風景を探して描きたいと考えているし、富嶽三十六景の現代版=湘南富嶽十六景とかを仕上げて、個展の目玉にするとか構想している。もう、時間が足らない。色々構想、妄想するのはいいのだが、生きているうちにできるのか?・・・という感じ。まあ、全てが実現できなくても、生きがいや夢を持って晩年の人生を送れるのは幸せだ。
この一年で、教室の先生はじめ、絵画に関する色々な人と会った。それで感じるのは、「変人」が多いということ。ま、自分もそうかもしれないが、芸術系の人間は普通の感性ではない。例えば、絵画教室の先生は、本当に絵は上手なのだが、何か人間的に欠けている部分がある。ずっと私立高校の美術教師だったのに、教え方が上手いとは思えなかった。日本の教育の欠点そのままといえばそうだが、画一的で個性を伸ばす指導では無かった。逆に、基本を改めて学ぶ私には、意味があったが・・・。美大卒から即教師になった先生は、社会に揉まれていない印象。お蔭で無駄な会話を避け、絵画の勉強だけに専念できたし、こちらもポイントを絞って技法質問⇒指導⇒習得との流れができた。途中辞めせずに、1年間学んで良かったし、教室の展覧会で締め括れた。
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2016年1月31日(日) |
「セッション」と「フィールドオブドリーム」 |
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●この1年間で観た映画の中では、「マッドマックス・怒りのデスロード」が断トツに面白かった。従って、2015に小生が観た映画BEST1と決めていたが、最後に凄い映画を観てしまった。今のところ、総合的にマッドマックスが1位だが、この文章を書いている最中に、ハナ差1位に変更するかもしれない。
それが「セッション」。低予算の小粒な映画。有名な俳優は出演していない。派手なセットやCG・特撮もなく、テーマは「音楽もの」。ある音楽学校が舞台で、ドラマー志望学生の若い男性が主役。助演は「鬼軍曹」のような指導者。もう、小生にとってはまるで興味のない題材。普通なら、スルーする映画。だが、昨年のアカデミー賞のダークホース的存在になり、助演男優賞、脚本賞を受賞し、もしかしたら作品賞まで掻っ攫うのでは・・・とまで言われた秀作。ブルーレイを買って、どこがそんなに凄い映画なのか、半ば疑心暗鬼で観た。
家で、DVDやブルーレイを観ると、大体寝てしまい、再度見直したり、詰らない映画になると毎回寝てしまい、もう3回目で寝ると二度と見ないパターンもある。ところが、この「セッション」は最後まで一気に観てしまった。役者陣は地味〜な人ばかりで、殆ど無名。画面はドラムを叩くシーンばかり。顔のアップも多く、主人公と鬼軍曹はお世辞にも見るに堪える顔ではない。全体に茶色っぽい色調で、舞台で演奏するシーンもそんなライティング。物事が上手くいかないことが多く、観ている側も主人公同様、イライラしっぱなし。
だけどテンポが速く、イライラと同時にハラハラの連続で、緊張感が半端ない。そしてどんでん返しもあるし、途中からスリラー的要素が絡まって、本当に良く出来たストーリーと映像と役者の演技だった。これ、インディペンデンス映画で、超低予算で、監督・脚本は未だ30歳前後の若手。才能に溢れ、この映画で爆発したようだ。
先般、2015年公開の映画対象にアカデミー賞の候補が発表になった。レオナルド・ディカプリオは「暫く休業する」宣言をしたはずなのに、凄い大作に出演しており、今回で5回目の男優賞候補になっていた。まだ40過ぎと若いのに、もう5回目の候補になったことだけでも素晴らしいが、1回も受賞していないのも珍しい。オスカーが欲しくてたまらない駄々っ子のように、「もう映画界から暫く離れる」と言っておきながら、陰で過酷な撮影をしていたようだ。同情を買って今度こそ受賞したいのだろう。みなの気持が「そろそろレオにあげたら?」のようなので、今年は受賞するだろう。
候補に、あの「マッドマックス」が10部門もノミネートされたという驚き。狂気ギリギリのアクション映画、普通ならアカデミー会員にスルーされるジャンルの映画。年寄りの会員でさえも1票投じたくなるほど、魅力に溢れた映画だったのだろう。やはり小生の1位はマッドマックスで、紹介した「セッション」は2番目に面白かった映画としておく。
●昔「フィールド・オブ・ドリーム」という映画があった。約30年経って、なんとなく観たくなって、もう一度観た。トウモロコシ農場を経営するケビン・コスナー扮する男が、神のお告げで農場を潰して野球場を作ってしまった。回りの皆は気が狂ったと噂して誰も近づかないが、妻と娘にも亡霊が見えるようになる。メジャーリーグの「ホワイトソックス」の選手たち。1900年代初期に八百長疑惑で追放になった時のメンバーが亡霊となって球場に現れ、その後も突然聞こえるお告げに従って主人公が奔走する物語。
当時、「今年公開の中では最高傑作」と評判の映画だったが、正直自分が30歳代で殆ど感動できなかった記憶。だが、メジャーに日本人選手が行って身近となり過去の歴史を知り、且つ自分が年取って見直すと、若い時とは違う感動があった。メジャーに上がれず、1打席も打てずに夢を諦めて弁護士になった老人を訪ねる。その人は数年前に亡くなっていたが、亡霊と話をして、自宅の球場に戻る。すると、若き日のその人が球場にいて、ホワイトソックスの亡霊たちが事情を察知して守備体型につき、メジャー初打席を体験させてくれる。以前観たときは何も感じなかったが、観直したら感涙していた。
主人公の父親との確執も重要なテーマ。言い争って喧嘩したまま別れて父親が急逝したので、心に蟠りが残ったまま。実は父親も野球大好きで、メジャーリーグを目指したことも・・・。父との和解をどんな風に描くか興味深く見ていたら、喧嘩したときの父では無く、青年時代の父親の亡霊を球場に登場させた。若き時代の父亡霊は、息子と知らずにキャッチボールしながら将来の夢を語る。なんだか、それで良かった気がする。喧嘩別れした父親の亡霊を登場させて和解してほしかったが、それでは甘ちゃん。父と息子なんて確執があって当然で、それを乗り越えて次の人生を歩めばいいと、作者は言いたいのだろう。主人公の息子が、「そうか、父親も若いころは野球選手への夢や憧れがあったのか」と初めて知り、全ての蟠りが凍解。若き父親の亡霊と会うためにも、野球場を作った意味があったのだ。
人生を噛み締めながら、30年前とは違う涙を流して映画を観た。
●映画を観ながら、自分の過去の思い出や「ルーツ」を考えていた。特にここで話すようなことではないが、やっぱり年齢なのか、表に出しておきたい、残しておきたい・・・との考えが強くなっている。若いころは「一族の中で自分だけは違う」とか、「自分だけは特別な存在だ」と信じていたが、年を取ってみると、みんな似ており、自分も同じだった・・・・ということだ。競馬で「血統」を論じ、血統から馬の性格や体力や競争能力を推理する作業をしているわけだが、やっぱり人間も同じ・・・というか、所詮生き物は遺伝子によって決められいるんだなと、つくづく痛感。
いずれ、具体的に書く時があると思う。また、そのときに自分のルーツなどを紹介したいと考える。「ルーツ」と言えば、NHKの『ファミリー・ヒストリー』、結構好きで見ている。最近は、普通の芸能人が、普通の先祖の話になっているが、それはそれで面白い。初めて見たのが、俳優の浅野忠信のルーツ。彼にアメリカ人の血が1/4入っていることを知り驚いた。母親や祖母の波乱万丈の人生、日本人の典型のような顔と思っていたら、アメリカ軍人の祖父と重ねてみるとよく似ていたり・・・とか。何かドラマチックなルーツと生い立ちで彼が役者になって活躍し、父の出身・米国映画でもそれなりに活躍している巡り合わせとか。
最近は、俳優自らが「ぜひ自分の祖先を調べてほしい」との持込み企画が増えたようで、例えば明治維新の立役者○○の末裔だったとか、実は名士の出だった・・・・なんて驚きの展開にならずに、普通の遡りのこともある。そりゃあそうだ、そんなに多くの歴史上の人物の子孫がいるわけない。元おバカタレントで、現カバー曲歌手のつるの剛士の回も、案外良かった。何も特別なのことのない普通の歴史だが、平凡だけど素晴らしいお父さんだったようで、あの父親だから、つるのの人柄がいいのだろうなと感じ、沢山貰い泣きした。そんな内容もいい。
※下記文章は、「競馬予想」頁で記載したものを、そのままコピーして残す。果たして、半年後、1年後に彼らはどうなっているか、検証するために。どうせ芸能人の恋愛会見や文書報告なんて、みんな嘘ばかりだろう!! 結婚目前なのに、お会いしたことも無い・・・とか。なんで、ベッキーだけ袋叩きにされるのか、意味不明。集団行動になると強い、島国根性の日本人の悪いところが出ていると思うが・・・。(以下、2016年1/29記入)
●ところで、年明け早々世間を賑わせていた芸能人のスキャンダル話。もう収束しそうな様相。なんだか、面白くない。もっとドロドロになって、悪い奴がきちんと痛い目に遭えばいいと思っていたが、世の中不公平なものだ。小生も、ここで書くのは最後になるだろう。
まず、「ゲス&ベッキー」。
ベッキーが心身ともに衰弱状態で、暫く芸能活動を休止するようだ。そのまま消えるかもしれない。謝罪会見直前のラインも週刊誌で暴露され、会見が嘘八百だったと、マスコミ、芸能仲間、ファン全員からバッシングされたことが原因だ。CMも番組も全て打ち切りとなりそうで、特にCMは違約金まで発生する可能性も・・・。確かにベッキーもゲスだったが、そこまでバッシングしなくてもいいだろうと、同情心。
では、相手の浮気+二股の真のゲス野郎はどうなのかといえば、全然攻撃される声が聞こえてこない。おいおい、それはないだろう! こいつこそ恋愛初心者のベッキーを誑かせて、恋に狂わせた張本人だろうが! こんな奴を許してはならない。こいつの出来心、浮気性の性癖が諸悪の根源。ファン⇒恋人⇒不倫でした⇒離婚してくれ⇒妻の反撃⇒でも2枚目CDは売れている・・・・・そんな流れの張本人はゲス男。こいつもベッキーと平等に酷い目に遭い、バッシングされるべきだ。こんなゲス男が、ほとぼり覚めたら妻と元の鞘に納まることは許されない。二股であろうがなんであろうが、男が付き合ったのなら、尻尾撒いて逃げずに、最後まで責任を取れ! と言いたい。
ベッキーよ、目が覚めたら、下衆野郎を攻撃してやれ。つくづく質の悪い浮気男に引っ掛かったものだ。違約金の半額を請求するとか、あるいは離婚を迫り切って再婚し、自分は悪女系のタレントとして蘇るとか・・・。まあ、しかしベッキーは真面目そうだから、暫くは「うつ病」のようになって苦しみの日々を送るのだろう。とにかく、一人負けのように炎上することは可哀そうだ。ここまで明るみになったら、開き直ればいい。相手だけ逃げて助かるようなことは、絶対に許すな!
次に「HIRO 木村」の事件。
どうやら、スマップの独立騒動の悪人は木村のようだ。やはりゲス野郎は木村だと思っていた。ファンの心理もズバリ核心を突いており、今回の騒動で誰が原因か?との質問で、1位がメリーかジュリーか知らないが事務所側、2位が木村となっていた。その2つの票が圧倒的で、3位以下は票が割れて、独立の中居などは下のほうだった。つまり、スマップが独立するのは当初5人の総意で、一時はそれでマネージャーと一致していた。ところが、木村だけが反旗を翻してここまでの騒動になり、あの生謝罪で自分が逆に会社との仲介的な善人として振舞い、センターに居座っていた。流石にファンは木村に嫌悪感を抱いた・・・・との顛末。CMで木村が出ていると、虫唾が走る。
最後に全てをスクープした「センテンス・スプリング」。
調子に乗っていると梯子をはずされた中居のようになるぞ。この週刊誌は絶好調のようなので、今に悪い事件を起こせばいいと思う。数年前の週刊新潮のように、やらせ的な記事を掲載し、その謝罪が謝罪になっておらず、徹底的にバッシングされるようなことが・・・。いい気になっていると、必ず勇み足でボロを出すはずだ。
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2015年10月15日(木) |
リーダーシップとは、その資質とは? |
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2015年9月25日(金) |
「やっちゃえ!」体質VSネット秘密警察 |


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●エンブレム問題は、委員会が取り下げたことによって一応の収束を見た。勿論、誰も責任を取らないとか、鮫の脳みそ=森は他人事のように居座り、完全に癌細胞化しているとか、問題の本質は何も変わっていないが、ここでは「パクリ佐野」だけ言及する。
やはり佐野はパクリの常習犯だった。既にサントリーのトートバッグで、完全なる盗み=トレースを認め、「部下がやりました」と白状。おいおい、泥棒の親分・佐野さん、組織ぐるみの犯罪は、だいたい部下や下っ端が実行犯。それと、おんなじ構造だってことだ。そして、このエンブレムで、出るは出るは、犯罪の手口が次々に『ネット秘密警察』によって明かされた。
委員会は良かれと思って、修正のプロセスを公表。大体、公募当選者と内密にデザイン修正することが、新たな疑惑を生むのだが、それは横に置いといて・・・。当初は「T字」に近いデザインだったようだが、これが95%のパクリであることが判明。著名なデザイナーの展覧会のポスターロゴ(代表作品かも)とほぼ一緒だった。しかも、このとき本人がツイッターで「これはヤバイ(素晴らしいの意味)。ぜひ皆行くべし」と褒めたツイート。つまり本人が見たとの証拠がネットに残っているおぞましさ。呆れた奴。
そして決定打が、エンブレムの展開例図。よりによって、一般人のブログの写真をそのままコピーして、実際の看板のような所をロゴに差し替えて、まるで自分で考えたかのような盗み業。もちろん許可なし。だって、盗っ人だもん。ブログの制作者は外国人で、日本の羽田空港を自分で撮影。年商数十億円(?正確には知らない)のプロのはずが、素人の写真を勝手に転用・盗用してしらばっくれているとは、世も末である。写真と展開図を重ね合わせると、小さい人物までピッタリ合致し、流石に委員会も「ここまで酷いとは・・・」と諦めたようだ。ネット秘密警察は⇒「どうだ、これが動かぬ証拠だ!」と勝利宣言。
●佐野は、多摩美卒で博報堂に就職し、その後独立している。穿った見方だが、それぞれの体質ではないか・・・との疑念。そう感じたのは、今私が通っている絵画教室の先生が、「商業デザインはどうしても似てしまう。デザインにはパターンがあるから」「あまり彼を責めるのはかわいそう」と擁護発言をしたことからだ。前述の展開図のパクリが出てからは流石に責めていたが、小生が感じたのは「もしや、業界にそんな体質があるのでは?」ということだ。美術界、デザイン界は同じ穴のムジナではなかろうか・・・との疑惑。
例えば美術大学。まさかと思うが、「商業デザインは模倣から始まる」なんてことを教えていないだろうな? あるいは博報堂の企業体質。「ネットから素材をドンドン取れ」とか、制作部の上司が「デザインなんて、ちょっとしたアレンジでいいんだ」「トレースをやっちゃっていいぞ!」と部下指導していないだろうかとの疑念。
要するに「やっちゃえ」体質だ。
一つかなりの確率で実行されたのは、佐野が経営するデザイン会社の中。実際、サントリーのトートバックでは半分ぐらいがトレースや一部差し替えのパクリばかり。本人も日常的にパクっていたわけだから、「今回は部下がやりました」と組織ぐるみの犯行であることは明白。きっと社内でのスローガンは、
「やっちゃえ、やっちゃえ」
「いいデザインはネットから盗んじゃえ」
だったのではないか? 矢沢CMの「やっちゃえ、日産!」ではなく・・・。
●それにしても「鬼女」と呼ばれるネットの番人。まるでネット警察の証拠集めか? 「なんて暇人だ」と批判の声もあるが、女性が多く中心層が主婦ということで、鬼のように調べる女=鬼女と呼ばれるらしい。TVのワイドショーでやっていた。佐野の空港写真展開図などは、ほんの3,4時間で捜索したとの噂も。まず、佐野デザイン作品を画像検索すれば、いくらでも出てくる。その作品を踏まえて、キーワード検索で画像を出せば、小生でも発見できそうな気がする。エンブレムの取り下げを聞いて「鬼女」たちは祝杯をあげたそうだ。どうやって?
ところで、Yahooニュースの下記コメント欄を、最近よく読んでいる。一連の五輪問題(新国立競技場、パクリ問題)が連日ニュースを賑わし、怒りが込み上げて、言いたいことが沢山溜まってくる。そんなとき、みんなのコメントを読むと、「溜飲を下げる」というか、そうそう、巧いこと言ってくれたと、頷いて、怒りも治まることが多い。ネット住民なのか、普通の人がたまたまなのか、実に上手な表現力。たった1行か2行の短文で、ズバリ斬ってくれる。
代わりに批判してくれたと同時に、あまりにも上手に斬ってくれることへの感心が相俟って、コメントを読むだけでスッキリするのかもしれない。
●安保法案を強行採決したアベ内閣。史上最悪の内閣とも言われているが、最悪は鳩山であり、菅であったと確信する。アベは史上2位か3位の酷さ。「集団的自衛権の行使」は賛否の別れるところだが、今回の大問題であり愚行は憲法違反であることを無視して、政府だけが勝手に憲法解釈を捻じ曲げて「合法」として、且つ強行採決したところにある。
安倍は内閣を一度失敗しても、一族の汚名を晴らし、成し得なかった使命を果たす役割があった。父は目標直前で総理になれなかった。母父の祖父はA級戦犯にもかかわらず、死刑を免れた人物。一族の使命は、日本に軍隊を復活させて、歴史に名を残すこと。幼少期から、岸祖父の膝の上で、念仏のように聞かされて育ってきたのだろう。それにしては、2回目の総理にもかかわらず、器が伴っておらず、説明も説得も苦手だから、強引に違憲法案を作ってしまった。
日本人のDNAが「こいつ、どうもキナ臭いぞ、ヘンだぞ」と感じたから、その風土が消滅したと思われた「デモ」を、老若男女が自然発生的にやっているのだ。
他国が攻めてきた時とか、米軍の支援をしていいのかとか、野党との無意味な会話を国会でしていたが、アベさん、ちょっと待ってくれ。今日本とって大事なことは、他国の軍隊ではなく、自然の猛威ではないのか?
●日本に対する最大の脅威は、自然災害ではないのか? 本気でそう思えるほど、近年の災害は物凄い。もちろん世界的に温暖化の影響も含めて従来にない災害が起きている。だが、今の日本はどうだ?
*4年前の東日本大震災
*余震や別のプレートによる地震の頻発⇒震度4前後が日常的
*火山の噴火、爆発⇒噴火エリアの拡大と規模の増大
*ゲリラ豪雨・集中豪雨による河川の氾濫⇒水没災害
*それでも原子力発電を再開し、福島原発以上の人災を起こす予感
どうだろう? 他国から見たら、まるで日本だけが呪われているかのような自然災害の頻発と拡大・増大。換言すれば、自然の神が
「お前ら日本人は、この地球に存在するな!」
と言わんばかりの恐ろしさ。常に生死の恐怖を背中に感じながら生活しなければならない試練。日本人の祖先は、どれほど地球に対して悪いことをしてきたのだろう? 自然界から恐ろしい仕打ちを受け続ける理由は何なのか・・・と疑心暗鬼になる。
今、日本が安全保障を考える対象は、他の国や軍事ではなく、相手は自然一本。自然の猛威・脅威から日本国民を守ることが、最大の安全保障ではなかろうか? 軍隊や武器ではなく、堤防や地盤対策や、避難ルートやルール。災害の省庁を作ってもいいほどで、その組織作りと人材教育が急務である。戦争なんて、放棄した国として守り通してもいい。自衛隊は災害対策に教育と設備投資をシフト化してもいい。
アベちゃん、憲法と政府の役割と使命は、「国民の生命を守ること」だよ。そのために税金を使え、その対応が迅速にできるような組織作りと法整備が、今の日本は急務ではないか。日本はそれでいい。歴史的にも戦争なんてしなくていい国民(民族)なんだ。地球はそれを日本に教えるために、色々怒って騒いでいるのだ。
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2015年8月14日(金) |
盗用・パクリ&「怒りのデス・ロード」 |
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2015年7月30日(木) |
「野菜ビジネス」を考え、そして人生を考える |
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2015年6月1日(月) |
祝! 健康管理能検定1級合格! |
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2015年3月18日(水) |
「アメリカン・スナイパー」の衝撃 |
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●久々に映画館に出かけた。大画面で観たいというより、この映画だけは一日でも早く観たかったからだ。米国ではアカデミー賞の候補に複数挙がったものの、受賞は音響賞のみに留まったが、日本の映画評論家がこぞって★5つの最高評価をしていたので、一体どれほど素晴らしい映画なのか・・・との興味もあった。感想としては、噂にたがわぬ凄い映画だったと素直に。如何にもクリント・イーストウッド監督らしい淡々とした作り。押しつけず、騒がず、怒鳴らず、クドクド説明せず、無駄なシーンが一切ない撮影と編集。だからこそ、観客に考えさせるのだ。主人公のスナイパーを全く英雄視していない。説明的に描いていないから、主人公の愛国心の芽生えから、戦争の苦悩に変化していき、PTSDの病に侵されていくプロセスが流れるように判っていく。そして衝撃のラスト。この映画は、スナイパーの自伝書(ミリオンセラー)を基に脚本が書かれていたが、本人に衝撃的なことが起こり急遽書き換えられて、映画が完成した経緯がある。ネタバレにならないように、結末は書かないが、まさに事実は小説より奇なりである。
米国では空前の大ヒット。特に保守系の政治家たちは大絶賛。それをリベラル派は完全に馬鹿にしている。保守派は、「これぞ、911以降の対テロ戦争の重要性を描いてくれた素晴らしい愛国心映画だ」と。逆にリベラル派は「如何に中東戦争、対テロ戦争が無意味なものであったか、戦争自体の悲惨さと帰還兵の心の病(PTSD)という二次的被害を描いた見事な反戦映画」と。真っ二つに分かれる論争を生んだ状況を、クリント・イーストウッドは冷ややかに見つめながら静かに笑っていることだろう。
衝撃のラストと、実写のニュース映像のようなシーン。エンドロールはBGMが流れるはずなのに、全くの無音声。場内がシーンとしているので、涙で鼻を鳴らす音が異常に響く。小生も涙を堪えていると、自然と背中が震える感覚を久々に味わった。
●イーストウッド監督は、「ミリオンダラーベイビー」でも「ミスティックリバー」でも「グラントリノ」でも、みんな衝撃シーンは静かに淡々と描いている。だから逆にそのショックや凄味が伝わってくるのだろう。名作ばかり撮り続けている稀有な監督である。どうしても「ダーティーハリー」や「荒野の用心棒」のイメージが強く、格好良いけれども、知性とは遠いイメージ。だが180度逆で、市長も経験したし、映画監督を始めてからは、年間何百冊も小説を読んで映画化を常に考えており、若手脚本家から送らてくる脚本原稿もかなり目を通すとのこと。映画音楽の殆どを自分で作曲担当しているのも驚き。ジャズの大家でもある。
撮影は早撮りで有名。あまり撮り直しをせず、一発でOKを出すことが多いらしい。そのために、俳優たちは逆に事前に役作りと台詞覚えは完璧に準備してくるようになったと。常に静かで優しく、相手を尊重し「グッドジョブ」と褒める。俳優たちはみんなクリントと仕事をしたがり、最も尊敬されている監督だ。アカデミー賞の主演・助演の男優賞・女優賞をあれだけ獲らせれば、みんなクリントの映画に出たがる。
小生もそんな上司と巡り合っていれば・・・、いや、自分自身が少しでも相手を尊重して静かに仕事や人間関係を育める人間だったら・・・・、今頃どんなに心の豊かな人間として生活をしていることだろう。殆どの人間が出来ないから、やっぱり彼は尊敬されるのだ。
「アメリカンスナイパー」に監督の遊び心を感じた。最後のほうで敵と銃撃戦になるシーン。まるで西部劇。道路側の人間たちと、建物の上や窓から射撃する人間たちで、激しい銃撃戦があるのだが、砂埃が舞い上がって撃たれた人間が上から落ちてくる。建物といっても2,3階建てだから、西部劇の屋根から落ちてくる高さと大差ない。たまには彼も遊ぶのだ。
●ハリソン・フォードは不死身だ、と誰もが驚嘆した飛行機事故。小型自家用飛行機を操縦中にエンジントラブルに見舞われ、ゴルフ場に不時着して重傷を負ったが、命に別状なく俳優として完全復帰できるとのニュースに、世界中の映画ファンは胸を撫で下ろした。自家用飛行機を10数機所有しており、70歳を超えて未だに自分で操縦しているのは、まさにスターウォーズのハンソロ船長を地で行き、「レイダーズ」のように何度墜落しても死なない主人公のようだ。いい話は2つ。
1.墜落現場は郊外の住宅地。被害を最小限に食い止めるために、住宅街を避けてゴルフ場に不時着したそうだ。流石のベテラン優秀パイロット! 本人が素晴らしいから、偶然近くでプレイしているゴルファーの中に、ちゃんと医者がいるんだな〜。医者の応急処置も適切で、救急車(か救助ヘリ)が来るまでに出血を抑えられたそうだ。
2.ハリソンは、これまで2回人命救助活動に協力したそうだ。大きく報道され、特に山火事で動けなくなった女性をヘリで救助したニュースは、確かに記憶にある。今回の不死身は、過去に人の命を助けたことの「お返し」だったのかも。
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2015年2月26日(木) |
アカデミー賞受賞式⇒レディーガガの底力と才能 |

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●アカデミー賞の授賞式が行われ、TVで生放送を観た。映画好きには年に一度の最重要イベント。これを見るために独占中継のWOWOWに加入していると言っても過言ではない。最近はテニスの錦織の活躍で、ペイチャンネルの価値が増えたし、新作映画も多く放送しており、ちょと待てばDVDやブルーレイを買わなくて済むケースも。今年のアカデミー賞の目玉は、12年間も時間を費やして、同じ俳優がずっと演じていく「ボクが6歳の・・・・」だったが、助演女優賞を獲っただけで終わった。監督や演者の苦労や費やした時間に賞を与えるようなことはしなかった。きっと内容がそれほど面白くなかったのだろう。
●世界中が注目するこのイベントは、何が面白いと言ったら、受賞者の緊張したスピーチである。あれほど人前で演じることに慣れているはずの大俳優たちが、極度の緊張や喜びでブルブル震えていること。スピーチ原稿を準備したと判ると、あざとい印象を与える。しかし、頭が真っ白だからスピーチメモを見ないと喋れない。だけど、そのメモを持つ手がプルプル震えている・・・。我々観客は、決して自分がその立場になることはあり得ないのだが、こっちまで緊張して体が硬くなり、「頑張れ」と応援してしまう不思議。このアドレナリンが出る感覚がたまらないのだ。
最近は、そのガチガチ緊張も少なくなった。若い人には、昔ほどアカデミー賞の価値が高くないのか? 最近の流行は、決められた時間内で如何に多くの友人や家族や該当スタッフの名前を列挙するか・・・のようだ。確かに、昔はスピーチが長く、日曜日夜のゴールデンタイム放送なのに、8時に始まって5時間以上かかって深夜の1時ごろにやっと最後の作品賞発表・・・・・てなことがあったらしい。そこで、スピーチ時間を一人(例えば)2分と制限時間制にして、もしもオーバーすれば、『ジョーズ』のテーマ曲を流して焦らせる手法を採るようになって、一気に時間短縮になり、日付を跨がず11:30頃には終了できるようになったらしい。
いずれにせよ、ここ数年見ていて感じるのは、堂々とスピーチをしている人は決まっている。黒人か女性⇒いわゆるマイノリティの人たち。差別・迫害を乗り越えて、人の何倍も努力して主役や助演の役を勝ち取った人々。生半可な肝の据わり方ではないのだ。特に黒人俳優は、+社会的メッセージを込める。使命感が衝き動かすのだろう。心への訴える力が半端ないのだ。
●今年の目玉は歌手レディー・ガガのパフォーマンス。何をするか事前に発表は無く、CMに入る前の予告が何度もあるのに、いつまでたってもガガは出てこない。以前ののTBS世界陸上の「もうすぐ室伏選手の登場です」とテロップが流れて2時間近く引っ張るあれと一緒。そして忘れた頃に、出番がやってきた。今年のトリビュート映画が約50年前の「サウンド・オブ・ミュージック」。その功績を讃えて映画のダイジェスト映像が流れた後に、ガガが挿入歌をメドレーで唄ったのだ。
日頃の奇抜な衣装ではなく、髪形も含めてノーマルで。どうしても「キワモノ」イメージが強いガガだが、今回は圧巻の歌唱力を披露。実は大富豪の娘で、小さいころから音楽の基礎を徹底的に叩き込まれたことが、ここで発揮された。日本と違って、本物の歌唱力や音楽センスがあるから欧米では歌手になれるのだが、ガガなどその代表者。キワモノ的パフォーマンスは、確固たる基礎の上に成り立った応用編なのだ。画家ならさしずめピカソ。彼は10代で写実的油絵は描き終えて、20代から抽象画の世界に発展した。従って、今回のガガの圧倒的歌唱力を知ると、年間何十億、何百億円稼いでも、文句は無いという気になった。
唄い終わったら、アカデミーの候補者たち全員のスタンディング・オベーションは本物のようで、最後に出てきた「サウンドオブ・・」の主演女優ジュリー・アンドリュースが涙ぐんでガガを讃えた姿は、真の姿と感じた。
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2015年2月7日(土) |
藤沢周平の著書を読破したい |
●遅ればせながら、藤沢周平に嵌っている。元来、時代小説は苦手で、若いころは殆ど読まなかった。いや、「徳川家康」や「織田信長」「燃えよ剣」などの歴史小説は読んだ。というより、・・・読まされた。会社の上司から、「将来マネジメントに役立つ」とのことで、義務的に読んでいた。それから月日が流れ、小生も年を重ねてくると、と無性に時代小説を読みたくなってきた。
きっかけは、ユーチューブ。2年前に、中島みゆきの「旅人のうた」を練習しようとUTUBEをチェック。すると、独自に画像を編集したものに行き当たり、「藤沢周平原作の映画やTVドラマ映像だけを編集しました」との投稿者コメント(現在は削除)。これに嵌った! 歌は「家なき子U」の主題歌だが、何故だか時代劇にピッタリ。見る度に涙が止まらない。映像の切り貼りでこんなに泣けるなら、一体小説はどんなに素敵なのだろうか・・・と期待し、まずは定番の「蝉しぐれ」から読み始めた。
●導入から、心を鷲掴みにされた。過去に、風景をここまで素晴らしい文章で表現した作家がいただろうか? 大袈裟な言い方をすると、まるで上級の風景画を『読んでいる(?)』ような…。写真や映像ではない。あくまでも絵画なのだ。その風景・情景を主人公の心情を交えて描写する。もう最初の1,2頁から涙がポロポロ落ちてくる。なぜだか解らない。自分の「琴線」に触れるからか? 現代社会で色々なモノを我慢している心が解き放たれて、自分の奥底に潜む遺伝子(DNA)が喜んで感動して涙が出るのか? そして故郷の子供時代に見た風景を思い出す。素晴らしい描写を読み逃すまいと、最初のころはゆっくり読んでいた。どうせ一気に読めないタイプ。自分の特性にも合っていた。
「蝉しぐれ」は、若い主人公が、切腹させられた父の汚名を晴らすために友人たちと奔走する物語。そして幼馴染の娘が殿の側室となって、その後どうなるか・・・という話。田舎の下級武士と農民と町人の質素な生活と情愛と「我慢!」。普通なら感情移入できない十代の男女の(叶わぬ)恋愛物語も、藤沢マジックにかかって驚くほど感情移入した。小説を読み終えて、涙とともに悪いものが流れ落ちた印象を持ったのは、初めてかもしれない。丁度、映画化されたものをTVで放送していたが、録画をしておいて、小説を読み終えてからゆっくり映画を見た。
びっくりするほど小説の一字一句に忠実に作っていた。冒頭の風景の文章描写を、丁寧に映像で表現していた(なんか逆のような感じ)。父親の屍を荷車で運び、坂道で転げ落ちるところも、丁寧に時間をかけて重苦しく作っていた。監督は根っからの藤沢ファンだろうと想像。
●その後、直木賞をとった「暗殺の年輪」他数冊の短編集を買って、読み続けようと思っていた時、たまたま知人から別の時代小説を勧められた。人気作家:佐伯泰英の「居眠り磐音シリーズ」が最も面白いと。その人は「藤沢は展開が遅くて疲れる」…と。いつも時代小説を読んでいる先輩の勧めなので、素直に佐伯氏の小説を買って読んでみたが、どうにも小生には感情移入できない。泣けるところが多いと聞いたが、私には殆ど泣けない。トントンと速い展開で話が進むが、活劇っぽくて、ジックリ情景を味わいたい自分には不向き。確かに面白いのだが、何より30刊以上続いており、まだ話が続く予定とのこと。つまり、主人公は死なずに生きているわけで、生きるか死ぬか、あの女性と会えるのかどうかをハラハラどきどきしたいのに・・・。今から30冊以上読破するにはモチベーションが続かないので、3冊目で挫折した。&根っからの時代小説ファンではない小生には、ちょっと難関だった。
暫く小説を読まない時期もあったが、その後ぽつぽつベストセラー小説や人気のミステリーを買ってはみるものの、最初の数十頁を読んで・・・積んどく。例え米国人気作家のスティーブン・キングの本でも、翻訳した文章(文法がまどろっこしい)について行けない年齢というか脳回路になってしまった。週刊文春の「ミステリー・ベスト10」に選出されたものを数冊買ってはみたが、今はどれも面白くない(若い頃は即読み終えたのに…)。
そして現在、藤沢周平に戻り、心静かにゆっくり読んでいる。いや、内容は暗く厳しい。下級武士の斬った張ったや裏切りの話、親子愛(特に母親と息子)とジレンマ、若い男女の悲恋・・・と。それが特有の味わいなのだ。ちょっとしたことで泣けて、なんだか自分の故郷に戻ったような安心感を覚える。全作品を読破するのは困難だろうが、代表作は全て読み切りたい。幸い、短編を編集し直した文庫本が多く出ているので、読み易い。著者は早くに愛妻を病気で亡くし、40代の半ばまで長期間に渡って「鬱屈」と「絶望感」の時代があったそうだ。それを執筆活動にぶつけたわけだが、男女の悲恋とブックエンドの結末は、人生経験が色濃く反映されていたようだ。後年は吹っ切れてユーモア溢れる作品が増えたようなので、執筆年代を後で確認するのも楽しみだ。
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2015年1月26日(月) |
厄年のお祓い |

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●先日、厄年のお祓いに行ってきた。男の最後の厄年。還暦の祝いも同時に行うぐらいだから、昔は60年も生きれば=長寿の部類に入っていたのだろう。そして厄年=死と背中併せ(?)の危険な年。丁度、病気になり易い、あるいは災難・問題が起き易い年回りなのだろう。昔の統計的な結果により定められた年齢の節目。41歳の時は神社の中に入ってお祓いしてもらった記憶がないので、今回が最初で最後の正式なもの。15分ぐらいで終わったが、厳かな行事であった。
宮司の方が最後に訓示的なことを述べた。「干支の未は、物静かで仲間を大切にする(群れる)生き物です。穏やかな生活で1年間何事も問題が起こらないように」と願って頂いた。この言葉は胸に染み入る。自分の性格云々は別にして、今年1年はこうありたいし、「仲間を大切にする」というキーワードを胸に生きる。年をとればとるほど、友達や仲間は増えていかない。小生などは、確実に減らしている。今年は逆に、今から新しい友人を作りたいし、今からでも性格を改善して、もっとフレンドリーな生き方をすると決意。
●TVの「日曜劇場」を久々に観た。「半沢直樹」や「仁」の時間帯。今回は「流星ワゴン」というドラマ。ベストセラー小説のドラマ化で、俳優陣も揃っているとのことで、一話目を観たが・・・・。重過ぎる。怪優の香川氏がノリノリで演じているのも、逆に鼻につく。取り返しのつかない過ちを犯した主役とその父親が、タイムマシンのような「ワゴン車」で過去に戻ってやり直しを図る話。あまり辛い経験の無い人間にとっては、気軽に見られるかも…。しかし、過去に思い出したくもない苦く辛い経験のある人にとって、絶対に過去に戻ってやり直しができないのに、こんな夢物語を見せられても・・・。
例えば、大震災で判断を間違ったことによって、大切な家族や仲間を失って、自分だけ生き残った人は・・・・ずっと自戒の念に苛まれて生き、過去に戻りたいと毎日願っている。津波の直前とか前日に喧嘩をして言い争った家族や恋人が行方不明になり、自分だけ生き残った人は・・・・ずっと後悔して自分を責め続け、喧嘩の直前にタイムマシンで戻って、喧嘩をせず、且つ安全な場所に避難させる夢を見ている。でもできないから毎日泣いて、罪悪感を抱いて生きている。そんな人が何千人いるだろうか? そんな人にとって、過去に戻って息子の家庭内暴力の原因を突き詰めるドラマなんて…、見たいだろうか?
いや、きっと小説もドラマも出来がいいのだと想像する。ただ、自分も人生で初めて人間関係で心が痛んだことがあり、過去に戻りたくても戻れないジレンマを痛感したから、このテーマは嫌なのだ。どうしても忘れられず、思い出す。その時間が止まっており、時計の針が動いていない。だから、もう過去を振り返ってはいけないのだ。毎日思い出す自分を責めてもいけないだ。まず自分を許すことで、時計の針が動き始め、次に向かって歩んでこそ、時計の針が現在になる。「済んだことは、もうどうでもいい」「馬鹿馬鹿しい、ケセラセラ」と達観し、「冷静に考えたら俺ばかりが悪くない」と思えだしたら、しめたもの。どんどん傷が癒え、心が軽くなるから不思議だ。
「謝罪しなければ」と考えた時期もあったが、そんなこともどうでもいいと今は思っている。過去の呪縛、これが解ければ未来に向かえる。
●「謝罪」といえば、サザンオールスターズの桑田のぶざまな謝罪。ネットやマスコミでは、「ロッカーなら政治的なメッセージを発信すればいいし、それを謝罪すべきではない」との論調・・・・・。えっ?桑田ってロックだった? そんな話は初耳。彼は「エロ・メッセージ」の多いミュージシャンでしかないと思っていたが…。別に信念も哲学もなく、勲章を茶化したりヒットラー擬きの鼻髭を付けた。それを叩かれたら即ゴメンなさ〜いと謝ったのではないか? 自分の影響力がどれほど大きいか、そんな認識さえもできない単なる流行歌手。
人間として、ガッカリである。小生とは同世代で、出てきた時は嫌悪感を覚えるほど嫌いで、会社の飲み会とかで若い社員が(自分も若かったが)桑田の真似をしながら歌っているのを聞いて、軽蔑していたことを思い出す。ところが、徐々にブルース的というか、どんどんいい曲を出すようになって、自然とファンになっていったようだ。音楽家としては天才肌の人材と評価。
いずれにせよ、何も考えず、いつものおちゃらけで政治批判をしてみた。その程度の人間でしかないことが露呈しただけ。
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2015年1月22日(木) |
医療に関する不思議第2弾 |
●日本の医師法には不思議な所が多い。というか、不可解な制約・制限が多過ぎると聞く。正式には知らないことが多いので、あくまでもイメージと受け売りの話。従って、あまり深く突っ込まないように留意する。
まず新薬に関する許可に長い時間がかかり、素晴らしい薬が海外で開発されても、なかなか日本の患者に到達しないことだ。とりわけ、ガンの抗がん剤。臨床試験で数年間(3年?5年?)の実績が出ないと、保険の対象にならないこともそうだが、海外の場合は日本に来るまでの時間と日本での実績を出す時間。命に係わることだけに、もっと短期間でスムーズなルートと意思決定を期待したい。
鍵を握るのは「医師会」の存在か? 政治の選挙になると必ず名前が出てくる。それだけ日本の場合は、政治にまで強い影響力を持っている。
●TVで、病院のCMを見たことがあるだろうか? あったとしても数社に限られており、一般の総合病院は皆無。昔から、病院の広告は「電信柱」と相場が決まっている。新聞広告も、雑誌も、広告は見たことが無い。
TVで昔から目にするのは「タ○ス・クリニック」。整形美容外科で、機能や効果は一切触れず、社長が出てきてヘリコプターで格好つけているシーン。一時は郷ひろみが出演していた。最近のCMは専ら「湘南・・・・外科」。次々に若手医師が出てきて、「好きな言葉は“信念”」「好きな言葉は○○」というあれ。なぜ病院の規模とか医療の効果・実績とか医師の実績とか、本質に関わる宣伝をしないのか、疑問に思う人が多いはず。CMの露出度が多いだけに(というかシツコイだけに)、なんで医師の顔と好きな言葉だけ?・・・と。
理由は簡単⇒医師法の制約があって、基本的に医療や病院の広告は禁止されているからだ。だから、昔は電信柱にしか病院名を出せなかった。しかし、美容整形の目立ちたがり屋の社長が「社名連呼とイメージ映像ならいいだろう」と先駆者となってTVCMを始めた。
今はインターネットのホームページがあって、各病院はそこで様々な説明ができるので、別にTVCMも不要になった。これは何が素晴らしいかと言えば、我々患者側に病院を選択する情報が出来たことだ。それまでは、何も解らないから重病なら地元の大きな病院や大学病院に言われるまま受診するだけ。今は「セカンドオピニオン」の時代。病院側が法律の範囲内で手術実績や生存率などのデータを出してくれるので、選択の幅が広がり、ヘンな広告は必要なくなった。
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2014年12月26日(金) |
医者って、いい加減な仕事? |

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●いや〜、久しぶりの更新。1年以上振り。何から書けばいいのか、以前のように「あれもこれも書きたい、発言したい」という意欲が減ったようだ。
3,4年前は最も政治に関心があり、民主党を応援したり、裏切られて幻滅したり、小沢氏に期待したこともあったが、本質が暴露されて誰からも相手にされなくなり・・・・。小生も年を重ねて、自分でも驚くほど保守的になった。別に左側の思考ではないが、若いころから「権力」や強いモノに戦いを挑んで、常に突っ張ってきた。サラリーマン時代は、上司に逆らうことに生きがいを覚え、ある意味の役割を果たしてきた部分もあったし、随分損なことばかりしてきたな、とも思う。ま、今後は、年も年だし、身近な事への「言いたい放題」を書きますので、気楽にお読みいただけでは幸いです。
●もう10年以上前から、高血圧の薬=降圧剤を飲んでいる。以前職場があった新宿御苑辺りの中規模な病院で、毎月処方してもらっていた。ここは人間ドックも行うぐらいの設備が揃っており、医療レベルが高いということで永年通っていた。
しかし、年月が経つと、徐々に関係性がマンネリ化。医師はとにかく薬の処方、患者は普段の混雑が嫌で、薬さえもらえばそれでいいとサッサと帰る。段々、患者(小生)の症状が悪化し、血圧が下がらない⇒薬の量を増やす⇒それでも下がらないから、朝+夜も別の降圧剤を飲む⇒ところが利尿作用が強く、頻尿という新たな症状。⇒珍しく患者が問題提起「夜の薬は頻尿を起こしている。変えてほしい」⇒だが医師は、「そんなはずはない。他の薬に変更しても利尿作用はある」・・・・・私と医師の関係はどんどん悪化し、険悪に。心の中で、私は「このヤブ医者目め」、医師は「素人患者がうるさい」と。
こうなったら病院を変えるのが一番だが、試しに担当医(医院長)が休みの日に行って、サブの医師に確認。ところが、これがもっと酷く、「確かに降圧剤の種類は沢山あるが、その前に貴方は太り過ぎ。もっと痩せなさい」と高飛車な発言。「そんなに簡単痩せられれば苦労しませんよ!」と反論し、この病院には二度と行かなくなった。
●普通、10年以上通っている病院なら、何ヵ月も行かないと「大丈夫ですか?」「どうかされましたか?」と電話があるはず。しかし、この新宿御苑の中規模病院は一切無い。患者ではなく、「消費者」って扱い? 次々に処方される薬が増えていき、月間7〜8千円の薬代を払わされて、気に入らなければお払い箱? いい加減なものだ。ま、それが実体か。
即座に近所の開業医を探し、ネットで評判がいい病院、医師の紹介頁で熱心に語っている人・・・・そんな観点で現在通っている病院を選択。初日から、レントゲン写真を撮るは、血液検査をしたがるは(前病院は無し)、無駄な薬はどんどん止めましょうと。驚くほど積極的。あまり押してくると、面倒くさい気になるが、まあ今回は全て受け入れてみようと従い、結果的にいい主治医になってくれそうな予感あり。
無駄な薬を飲まなくて済み、降圧剤も朝のみで下がるようになり、血液検査の結果、悪玉コレステロール値や糖尿病の目安になるヘモグロビン値が高いことがわかり、「まずは本気で体重減する!」と決意させてくれ、今では6,7kgのダイエット成功と、悪い数値の大幅減を達成することができた。
医師との相性なのかどうか解らない。ただ、相手が本気で言ってくれているのか、いい加減な仕事なのかは、患者として見分けられる。その違いか。
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2014年12月25日(木) |
人生の区切り⇒これまでの感謝巡り? |
●年賀状を書く時期になると、非常に億劫になる。受取人ご本人が亡くなることが多くなったり、年賀状は止めたという人が増えたりすると、自分もそろそろ止めようと思うからだ。なかなか決断できずにズルズルと来て、今年も(2015年版)書いて投函する予定。従来と違うのは、2015年は年男であり、遂に60歳還暦を迎える点。光陰矢の如しというが、自分が遂に60歳になるかと思うと、時の経つ速さを痛感。今時60歳は「老人」ではないが、自分が子供だった時代の60歳は完全なジジイ。なんだか恐ろしいような、いやはや、60年もよく生きてこられたな・・・とも。
去年までの年賀状では、手書きでコメントを書くのも面倒だったが、どうやら今年は違う。「還暦」との言葉を書いている。そして、書きながらジワジワと感じたのは――
『今後いつまで生きられるか判らないのだから、暫く会っていない懐かしい人に、みんな会っておこうかな』
――ということだ。やはり将来不安は年と共に高まってくる。普段会う人も徐々に狭まってくる。会いたいのに「いつでも会える」と機会を作らなかったり、気が合わないから知らぬ間に会わなくなったりとか、色々ある。
●全員に会うのは無理としても、来年1年間で極力多くの人と会いたいな、と年末の今考えている。自分が60年間生きてこられたのも、周りの支えてくれた人たちのお蔭。その感謝を伝えるのは照れ臭いが、元気な顔を見せ、お互いに近況を話すだけでも意義がある。
まだ間に合う。まだ性格や人間性を変えられる。まだ改善できると思うから、この年になっても未来志向でいられるのだ。
なんだか、来年の還暦=人生の大きな区切りにやるべきことが見つかったような気がする。
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2012年8月20日(月) |
この夏、五輪、日本政治、領有権問題・・ |
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2011年10月17日(月) |
脳科学者vs元祖PCオタク⇒子供の喧嘩 |
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●アップルの創始者ジョブズ氏の追悼番組が、インターネットTV(ニコニコ動画)で放送された。番組の冒頭、いきなり脳科学者・茂木が暴走し、隣の太目のオジサンが怒り心頭で茂木と喧嘩を始めた。もちろん小生がこの番組を見ていたわけではない。ツイッターで話題になっていたので、後でサイトを視聴して知った次第。事の顛末はこうだ(10/20に一部修正)。
進行役がジョブズ氏の訃報を伝え、彼の業績を称えて思い出を語る形式で出演者に促したら、いきなり茂木健一郎が「僕はMSーDOSもウィンドウズが嫌いだ」と言い出した。それに対して進行役よりも早く反応したのが元アスキー社長の西氏。アスキー退任後に日本マイクロソフトの副社長でもあった(これも退任)人物だから、元自社商品を悪く言われたら誰でも頭にくる。西が茂木の突然の批判を遮って、「お前は何を言っているのだ?」「今TVで言うことではないだろう?」と眉間に皺を寄せて怒った。もう、ここからは子供の喧嘩。茂木が「私の個人的な意見だからいいでしょう」とウィンドウズ批判を続けたら、西は「このまま言い続けるなら帰る」とか「お前は(PCを)作ったこともないくせに」と感情論。進行役や他3,4名の出演者が戸惑いの表情で映像は切れ、編集して次のシーン。一応、茂木が謝罪して喧嘩が治まったように見えたが、別のテーマで話しているシーンでも、まだ西が怒っているところを数分放送して映像は終わった。
●茂木氏も西氏も、どっちもどっち。ジョブズ氏の追悼を無視して、PCソフトの批判や個人的な好みを滔々と喋る茂木は、まるで社会性が無い。喪服の西氏のほうが一応大人で、Tシャツのボサボサ頭で出ている茂木は追悼の格好ではない。まあ、冷静に考えれば、ジョブズを正当化する論点としては正しい。ジョブズ自身がアップルを作ったときに、マイクロソフトを徹底的にこき下ろして批判することによって、差別広告(マーケティング)をしたわけだから。ただ、隣にいたオジサンの存在がまずかった。競合他社の日本マイクロソフトの元副社長だった。
インターネットTVなので固いことは抜きにしても、あまりにも発言が唐突で、自分本位で、周りが全く見えていない。普通ならジョブズ氏が関わったアップル・コンピュータやiPodから語り始めて、その後に、例えば「隣にいらっしゃる西さんには申し訳ないが、私はウィンドウズが使い辛くて・・・」とか何とかで、途中から批判するのが常識。今回の茂木は相当に非常識と言わざるを得ない。
茂木は「脳科学」を売り物に突然有名タレントになり、科学者とは名ばかりで、巧みな言葉や映像のテクニックで視聴者をマインド・コントロールしてきた印象。しかし、徐々にメッキが剥げて、数億円の脱税疑惑が発覚し、経理・税務の煩雑さが露呈。出演料や出版物の印税で年間何億も儲けながら、社会的な義務=納税や届け出は放ったらかし。一つのことに没頭すると他が何も見えなくなるところは、本人がTVで紹介した「サヴァン症候群」と近いのでは?
●一方の西氏も、突然怒り出して「バカヤロー!」「帰る」と言い出すところはまるで子供。茂木の話なんて適当に聞き流せばいいのに、それに反応するから茂木もムキになって反論する。特殊でプライドの高いオタク同士の戦いと言ってしまえばそれまでだが、2人ともいい年のオヤジで有名人だけに、非常に恥ずかしい喧嘩に見えた(もちろん笑えるが・・)。西といえば、日本のパソコン界における先駆者。若いころに米国のシリコンバレーに留学し、あのビル・ゲイツと一緒に学び、孫正義とも同級生。そして急逝したジョブズも同世代。みんな55歳か56歳で、最初はコンピュータ・おたくから始まり、30年以上経過してそれぞれの道を歩んできた。小生も同世代。今回判ったのは、ジョブズとは同い年で誕生日がたった2日しか違わなかったこと・・。世界を劇的に変えた2大巨頭ビル・ゲイツとジョブズは、コンピュータとは無縁だった小生と同学年だった。人間、色々です。
◆因みに映像のサイトはこちらをクリック⇒「西氏がバカヤロー発言」
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2011年10月15日(土) |
ありがとう台湾&6人の日本の若者たち(引用) |
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●日本の馬鹿マスコミ(通称マスゴミ)が正しい情報を伝えないことは衆目の一致するところ。日本国内のみならず、海外の情報もまともに報道しない。例えば「台湾」に関する情報…。国と認めない中国に気を使って、あまり報道しない。ただ流石に、大震災に対する義援金額が世界のどこよりも多額だったことは、マスゴミも伝えていたようだ。しかし、この後日談が伝えられていない。唯一紹介したメディアが「東スポ」のみ。しかもコラム記事で…。素晴らしい話なので、ここで紹介します。
●東スポで週1回のコラムを担当する作家&作詞家なかにし礼氏の文章より、要約引用――
・200億円の義援金を送ってくれた台湾に対して感謝の気持を伝えるために、日本の若者6人が沖縄から台湾まで泳いで渡った(TVの小ニュースで知る)。
・ネットで調べると6人はみんな被災地の出身。彼らは岩手、宮城、福島の県知事から託された感謝状を送り届ける使命もあった。
・発起人のライフセイバー鈴木一也さんがコースの一部を試泳して本番に備え、資金は「日台黒潮泳断チャレンジ2011」というNPO法人を立ち上げ、募金に頼って準備を整えた(王貞治氏も賛同者)。
・6人は9/17午前7時、与那国を出発。台風15号の影響で海が荒れて最悪のコンディションだったが、一人30分ずつ交替で泳ぎ、世界最大規模の海流=黒潮の荒波120kmをサメを避けながら泳ぎ切った(ドーバー海峡33km)。
・2日間以上、約50時間泳いだ彼らを、台湾側から100人以上の人が沖合まで出迎えてくれ、上陸後に宜欄県政府が歓迎式を開催。6人は「謝謝、台湾」と叫び万歳をしたのだった。
・この快挙をもっと大々的に報道すべき。民主党政府は中国に気を遣って、台湾からの多額の義援金に対して、きちんと公表せず謝意も表していない。その権力者たちの及び腰がマスコミに影響を与えているのであれば、若者を叱る資格はない!
・大津波で襲い掛かり、大災害をもたらした、残酷にして偉大なる海とたわむれてみせたこと。そこが、この若者たちの美しさだ。
――この話を読んで大いに感動し、ネットで検索してみた。しかし、あまりヒットする記事はなかった。その後も、特に話題にならなかったのが残念だが、もしかしたら台湾では大きなニュースになり、好意的に受け止められたかもしれない。
どうせ東スポ・・・と侮るなかれ。確かに相変わらず嘘っぽい記事もあるが、あの大震災以降、変わったような気がする。福島第一原発にいち早く視察した菅総理が、福島から帰って東電に乗り込み、大声で怒鳴り散らしたこと。「俺は原発に詳しいんだ」「ヘタしたら東日本は潰れるかもしれない」とのトンデモ馬鹿発言を最初に報じたのは東スポ。大真面目で菅を批判する東スポに驚くと同時に拍手を送った。大新聞、各テレビ局とも、この話題には封印。あくまでも、政府と東電の御用聞きに徹したのは、後日になって衆目の一致するところ。東スポがバカ菅の真の言動を報じてから、週刊誌や他の夕刊紙が追随する格好になった。おいおい、「エロ・ウソ新聞」ではなく、日本のマスコミに無くなったと思われたジャーナリズム魂が、ここに残っていたとは・・・。
また、なかにし氏のコラムは巧い! さすがに作家であり作詞家だ。読ませる、感動させる、根底に流れる正義感が心地よい。この人のコラムは痛快な内容が多いので、必読だ。 |
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2011年8月12日(金) |
お台場フジTVで抗議デモが行われた理由 |
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2011年8月3日(水) |
買収屋⇒孫正義の野望と真実は? |
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●久々の「言いたい放題」記入。実は、そろそろ「ツイッター」に飽きが来て、あまりつぶやかなくなった。福島原発の問題や震災復興の対応遅れなど、何も落ち着いておらず国民の苛立ちは募るばかりだが、「毎日、政府や東電への怒りを発言しなければ気が済まない!」との気持ちは、正直一段落した。換言すれば、何を発信しても暖簾に腕押しだから、言う気が起きなくなった・・ということかも。実際みんながそのようで、例えば菅が「特例法案不成立なら9月まで続投」とか「長崎・広島への式典出席」とのニュースに対して、誰もツイートしていない。『菅よ、もうどうでもいいから早く辞めろ』との心の声が一致しているからだ。そこで、ツイートからこのHPに戻ってくるつもり。できる限り1週間に1回更新するペースにして、裏情報を提供するようにしたい。大新聞やテレビでは絶対に報道しない真実の話。これが震災・原発以降多いんだ。「表は嘘、裏が真実」⇒そこまで言うと極端になるが、それに近い。ツイッターを始めたから、その構図が手に取るように判る。普段目にしないブログやHPやニュースサイトも、ツイートで紹介してくれるから、普通の人が知らない情報を得られる。今後は、得た裏情報をここで紹介するつもり(勿論、自分の論点も加えて)。
まずは「時代の寵児?=孫正義」の真実から
●ツイッターを始めて最初に目に飛び込んだのが「孫のつぶやき」。私はフォローしていないのに、勝手にタイムラインに出てくる。つまり、「リツイート」されることが多いので、より多くのツイッターの目に触れるというわけ。一般人のフォロアーから「○○してください」とか「被災地の携帯が繋がらないから○○」とか、当初は勿論ソフトバンクの携帯に関する要望ばかり。すると孫が「やりましょう」とのツイートをして、実際に要望が実現される・・・との流れ。これがツイッターに留まらず評判になり、「即決で、やりましょうの孫」として一部で尊敬されていたようだ。そして極めつけは「義援金100億円」事件(?)。最初に目にしたのはツイッター。よくもまあ、大胆に。まあ、小生は彼の成り上がりプロセスを知っているだけに醒めた目で見ていたが、これが表面しか見ない若者ツイッターの間で大反響となり、「さすが孫さん」「なにをやっても凄い」「時代の最先端」と尊敬ツイートで大騒ぎ。ふん! 大金持ちなんだから寄付するのは当然。彼にとっての百億円は全資産の何分の1か、アジア後進国の人たちがなけなしの金を集めて義援金として送ってくれた数万円と比較して、どっちのほうが価値あるか? 小生の感覚では明らかに後者。大体、100億円を公表してぶち上げるなんて、宣伝以外の何ものでもなく、真に被災者を思うなら、黙って寄付するものだ。それが福祉というかボランティア精神のはず。如何にも偽善的というか姑息な下心が丸見えのことと感じ、嫌悪感さえも覚えた。じゃあ、そのことをツイートしたか・・と問われれば、流石にツイッターに加入して2週間程度の時期だったので、孫を批判する勇気はなかった。
●そして、菅に擦り寄っての「再生可能エネルギー」。もうこれで完全に、商売人根性丸出しの姑息な奴ということがバレバレに。その前は、菅を応援するスタンスに転じた呟き(依然としてフォローしていなかったが、常に誰かがリツイート)。こいつ、もしかして政治家に転じるつもり?・・と感じたこともあったが、どうやら違うようだ。そして、全国に太陽光発電所を作るとか発言して、はは〜、まだまだ通信網が弱いソフトバンク携帯電話を強化するために、その通信タワー作りなのかな・・と感じ始めた。その後は、周知の通り。スッカラ菅におべっかを使い、「菅さん、ずっと総理を続けてください」などと、完全に歯の浮く胸くそ悪いにじり寄り。在日韓国人三世で、差別された日本への恨みがハングリー精神になっているといわれる孫と、売国奴で左翼的社会主義思想で、韓国大好きな菅とは、なるほど思想も気も合うのだろう。菅は「再生可能エネルギー法案」で自分の存命の切り札にしたい、孫は「電力事業への進出と経営者としての大躍進」を手に入れたい。お互いのニーズが一致した胸くそ悪く嫌悪感しか覚えない猿芝居であった。
●先日テレビで孫を紹介するボードで「アイティ革命の寵児」・・・のようなキャッチが付いていたので、流石にそれは昔の話だし、実際にはこいつ革命なんかしていないぞ、と腹が立ち、ツイートした。140字以内で言うのは難しかったが、要するに「商売人」でしかないことをコメントした。丁度同時期に週刊誌が暴露記事をだしていたので、時期的には良かったようだ。確かに昔はアイティの寵児だった時期もある。世代が同じだからよく覚えているが、今をときめくビル・ゲイツと「アスキー」創業者の西氏と孫がシリコンバレーで一緒に学んでいたのは有名な話。というか、ここらの記憶は曖昧で3人が同じ大学だったかどうかは定かではない。その後、3者3様に分かれていく。ゲイツはマイクロソフト社を設立して世界中にパソコンを普及させた正に地球レベルの経営者でありアイティ革命者。西は秋葉原オタクのはしりのような人で、結局オタク的経営者で終わった。そして問題の孫はどうかというと、まずアイティ系は実は何も自分で作ってはいない。全部買い物だ。日本マイクロソフトはビルとの提携、ヤフーも米国との提携で日本法人を運営しただけ。当時、街頭で赤いコスチュームで煩く勧誘していた通信システム。あの「おぞましさ」を思い出す。そして「ソフトバンク」を買収し、野球の球団を買収し、携帯電話の権利を取得し、アイホーンの権利もアップルからいち早く取得し、最後はスッカラ菅を利用して「電力事業」を手に入れようとしている。確かに野望は凄い。でも、その手段の殆どは自分の手を汚さず、全て買収や提携によって出来上がったものを買っているだけ。つまり孫=買収屋なのだ。本質はホリエモンや村上ファンドと同じ種類。ちょっと人当たりが良く、やり方が巧みで、機を見るに敏で、しかし狡賢いだけなんだ。
若者たちは、孫の表面だけ見て騙されてはいけない。事業的には大変な負債を抱えているのに、あのTVCMの「白い犬」やスマートフォンによる好イメージで判断してはいけない。確かに、あの広告展開は普通の経営者ではGOサインを出さない。常識的にOKを出す経営者は馬鹿だ。年間何億(十億以上?)もの広告なら、トップが最終チェックするだろう。父親が喋る犬設定に「やりましょう」と判断できるセンスは、常人とは違う。いずれにせよ、野望の塊のような所詮「商売人」に日本の政治が&国民が騙されては断じてならない!
東大・児玉龍彦教授の魂の叫び(2011年7月27日)
サイトはこちら↓クリックすれば映像を見られます(書き起こし文章付)。
「児玉教授の映像」
●衆議院厚労委員会「放射線の健康への影響」で、参考人として発言した東大・児玉教授の話が、今ネット上で大きな話題になっている。私もこの翌日にツイッターで知り、早速「Y−TUBE」の映像を観た。ツイートに「この人本気だ」とか「マジ、涙出た」との呟きだったので興味本位で観たが、その迫力に圧倒され、その本気度に感動して胸が熱くなり、問題の指摘のみならず今後の対策まで提言しているので内容的にも素晴らしい、と実感。ただ、政府や東電への批判や問題指摘が半端なものではないので、ちょっと危険かな・・と感じた。案の定、翌日には削除されて「YTUBE」で観られなくなり、その情報統制振りでもネットで大騒ぎになったのだ。ツイッターでも「見たいけど見られない」とか色々書き込みがあったが、さすが削除されないサイトを探して紹介してくれる人がいて、私もここでこのように紹介出来た次第。
●東大はまさに日本政府の「原子力政策」を進めた機関。そのため、震災・原発事故以降に出てくる東大教授は安全性しか発言せず、「御用学者」「御用大学」のレッテルを張られてきた。その東大から、渾身の反対発言。初めて国民の側に立った真実の発言。命を張るとはこういうものか、とも感じる身を捨てた立ち振る舞い。そして何より、学者の中からこういう人物が出て、国会で発言して、それをネットで出回ったのに情報統制されようとしていることが表に出たこと。中国を悪く言えるか?・・とのことが表面化したことにも意義があると思う。大新聞では一切報道せず、テレビでも見られない(一部だけ朝ワイドでちらりやっていた)貴重な映像。興味がある方は、上記の見出し下をクリックすれば、見られるはずです(このサイトは削除されないはずなので)。きっと心が震えるでしょう。
さて、この原発対応については、私も提案があるが、ちょっと今日は時間切れなので、また後日記入。
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